隼鷹天満宮(熊本県阿蘇市)
隼鷹と言えば・・・
神社の名前は隼鷹天満宮と書いて、
「はやたか」天満宮と読みます。
しかし「隼鷹」の文字を見ると
神社とは無関係ながら
50年ほどの昔(笑)
僕が小学生の頃プラモデルで作った
日本帝国海軍の航空母艦、
「隼鷹」(じゅんよう)の印象が先に
頭をよぎりまくります(笑)
ほぼ全滅した空母群の中で、
奇跡的に終戦まで生き残った
幸運艦である隼鷹、
彼女の艦内に祭られていた神社は、
この隼鷹天満宮ではなく、
この夏僕たちが参拝した
奈良県の橿原神宮だそうです。
工事の途中で、海軍に買い上げられ
大型貨客船から空母に改装された隼鷹は、
貨客船名を「橿原丸」として
計画、着工されていた事から
橿原神宮が艦内神社の御祭神に
迎えられたのでしょう。
空母隼鷹の話ばかりになりましたが、
僕たちが参拝したのは
隼鷹(はやたか)天満宮です(笑)
熊本地震からの復興
豊後街道沿いに位置する
隼鷹天満宮の一の鳥居は
見た目から新しいものとわかります。
鳥居の柱には、
「平成三十年十一月吉日建設」
という文字が刻まれていて、
まだ建立から1年も経っていません。
調べて見ると、予想通り
以前ここにあった鳥居は熊本地震で
倒壊してしていました・・・
いきなり復興の象徴みたいな
真新しい鳥居を潜れるとは、
有り難い限りです。
ここには以前の鳥居が写っていますね。
御社殿へ
隼鷹天満宮は、境内に入る前から
庭園の中の一施設と言った方が
いいのかと感じるほど
整然とした美しさを感じる神社です。
そんな雰囲気を持った社頭の
鳥居横にある案内には、
江戸時代、ここが
殿様のお茶屋(休憩所)だった事が
書かれています。
庭園の一角らしく、
綺麗な参道が延びています。
参道途中の
「的石御茶屋跡(史跡)」案内。
代々御茶屋番を務めた小糸家は
現当主で13代目であると
書かれていて、当時からのものが
そのまま残っているようです。
参道左側に広がる庭園。
湧水の透明感に感動ですね。
阿蘇市指定天然記念物、
小糸家の高野槇。
樹齢は250年と書かれています。
隼鷹天満宮建立のきかっけが
書かれています。
「肥後藩主細川綱利公が
参勤交代のため船で東上の折、
天候が悪化し、
船が沈みそうになった時、
一羽の白鷹が船柱に飛んでくると
怒涛はたちまち静まり無事渡航を終えた。
藩主はその夜、霊鷹は
的石天満宮の権化との神諭を夢見、
京都で社殿の建立を命ぜられました」
鷹は神様だったというお話です。
僕たちもモンキアゲハが
妻のおばあちゃんの化身と感じるのと
通じるところがあって、
親近感が湧きますね。
奥へ。
湧水が川となって流れ出ています。
苔むした光景も素晴らしい!
拝殿が見えて来ました。
手前の鳥居も
新しいなと思っていたら・・・
う~ん、
この鳥居もだったのか・・・
かなり磨き込まれて白くなった狛犬。
それとも比較的新しいもの?
吽形。
熊本出身、宗不旱(そうふかん)が、
的石茶屋跡(隼鷹天満宮)を
訪ねた時の自筆の短冊を歌碑にしたもの。
拝殿にて参拝。
本殿。
本殿正面。
本殿真後ろ。
本殿左後ろ。
本殿左正面。
御社殿右側の湧水池。
池の底まで透明で、
鯉たちも気持ちよさげに
悠々自適の生活を楽しんでいます。
最後にツーショットで〆。
隼鷹天満宮は、
何だか殿様の匂い(笑)が、
令和の今に残る素敵な神社でした。