平戸城(長崎県平戸市)前編

 

生き残り大作戦

松浦氏は、11世紀の嵯峨天皇から

皇籍降下した嵯峨源氏の末裔です。

末裔といっても江戸初期は

今から400年以上も前のこと。

600年続くのも凄いことですが、

そこから外様大名ながらも

江戸時代が終るまで改易されず

生き残ったのには、

やはり凄い知恵と勇気と決断力が

あってこそのものでした。

今回行った平戸城は

一度は焼けて無くなったのですが、

その理由が徳川家から忠誠を

疑われないこととも言われています。

今、平戸にオランダ関係の

観光施設があるのも

松浦の殿様が偉〜い人だったからで、

平戸市民なら尊敬して

やまないことでしょう。

そして、僕も今回の旅は、

その殿様のお陰と感謝しています(笑)

平戸城へ

平戸城を一直線に目指していた

僕たちは、その途中、

伊万里市の青幡神社で思いがず

感動的な道草(笑)を食い、

巨木に癒されました。

その伊万里から走ること

1時間、長崎県の北部の島、

平戸島に到着、そして、

今度こそ道草もせず(笑)

平戸城に到着しました。

平戸城は亀山城とも言われ、

今は亀山公園として整備されています。

乾櫓。

復元された櫓で、

天守がなかった平戸城では、

天守の代わりとして

使われていたそうですが、

今は売店として使われています(笑)

乾櫓横の並木は1599年、

先代の平戸城築城の際

植えられたものだそうです。

樹齢400年の槙(まき)並木。

これだけの巨木が並んでいる姿、

なかなか壮観ですね!

ここからは模擬天守を目指します。

石段。

石垣。

地蔵坂櫓。

狸櫓と石垣と海。

こちらは現存の櫓です。

北虎口門。

ここも200年前建てられて、

今もそのままの木造建築。

北虎口門の扉。

ここから入るとすぐ右側が

チケット売り場です。

チケット売り場の向かい、

天守への石段下には、謎の看板が!(笑)

古代の衣装?を着た女性が

何ともシュールな雰囲気で、

あ〜地方の観光地に来たんだな〜

という昭和的雰囲気が何とも言えず、

郷愁を誘います。

下がチケット売り場、

右が北虎口門、

向こうに見えるのが、地蔵坂櫓。

よくある櫓の名前とは

全く違う名前(あだ名)の狸櫓。

由来などが書いてあり、

その由来の「額」はもはや老朽化し、

撤去されていることが

後から追記されているという、

「昔あったけど今は無い」

という何とも言えない

説明になっています。

文章の応急的な更新はされども、

看板自体は更新されないという

やはり予算との兼ね合いなのか、

僕がやっていた会社経営を思わせる

共感しきりの狸櫓です(笑)

こちらが狸櫓。

本名は多聞櫓だそう。

中にはこんな縄張図もありました。

狸櫓とは書いてありませんね(笑)

天守へ向かう石段横には

狭間の説明が。

石垣にも白壁にも

鉄砲が撃てるように狭間を設ける

山鹿流「二重の狭間」。

ここからは海側からの

敵を攻撃できます。

売店となっている櫓門へ。

ここから本丸、天守へ。

青空に映えますね!平戸城。

南側から。

本土(対岸)を臨む。

見奏櫓(けんそうやぐら)と海。

ここから海を見張っていたのでしょうか、

なんか燈台的な櫓です。

見奏櫓みた模擬天守。

ここは三方の海が見渡せる、

絶景スポットでもあります。

ここでツーショットも完了。

南側平戸大橋方面。

手前の櫓は、懐柔櫓。

かいじゅうやぐら?

怪獣を連想(笑)

南西方面。

手前は護国神社の社殿屋根。

神様を見下ろすのは、

ちょっと気が引けますね…

でも撮影してしまいました(笑)

さて、いよいよ天守に上りますよ!

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください