弘前城(青森県)追手門

 

人もChatGTPも・・

内堀、外堀を含め、

江戸時代当時の縄張りや建物などが、

ほぼそのまま残る弘前城、

一体どこから攻城スタートすれば

効率よく巡ることができるのか?

そう思い、

ネットで先人達の知恵を拝借すると

その答えは「追手門」でした。

ちなみにChatGTPに

「弘前城はどこから巡ればいいの?」

こう聞いてみると

おすすめの巡りルート

追手門(正門)から入る

弘前城の主要な入り口です。

最初に石垣や堀を眺めながら城内に入ると、

歴史的な雰囲気を感じられます。」

このように、

全く同じ回答が出ますので、

やはり追手門スタートが最強でしょう(笑)

追手門

まずは案内図で確認。

駐車場は地図の一番下(南)側、

追手門前の地下にあるので、

利便性抜群です。

ここから攻城開始。

外堀&土塁&追手門、

素晴らしい景色ですね!

水面に映る追手門も乙なもの(笑)

手入れが行き届き、

超気持ち良いエントランス。

正面。

まずは草むしりをされている方にご挨拶。

この人のお陰で、

僕たち観光客は美しい弘前城を

満喫できるんですから

感謝しかありません。

そして、

門手前の案内を書き出すと

以下になります。

「三の丸追手門

弘前四代藩主・津軽信政の代に

参勤交代経路が変更され、

それに伴い、

大手(正面)の門とされました。

建築は築城当初まで遡ると

考えられています。

当初は本瓦葺でしたが、

後に銅瓦葺に葺き替えられました。

また、明和三年の大地震によって

大きな被害を受けたことから、

二層内部に、支柱・筋違・捨梁を入れて

補強しています。」

弘前城の築城は

慶長十六年(1611)ですから

この門には400年の歴史があるんですね。

弘前城の本気度が伝わってくる

令和の大修理の案内。

白漆喰を多用した、

優しい外観の城内側。

三の丸〜二の丸へ

門をくぐって三の丸に侵入(笑)

二の丸方面へ。

案内柱の根元に注目!

津軽為信が旗印にした「卍」、

今では弘前市の市章です。

これ、やっぱカッコいいな〜!

「石垣普請(工事)」。

現在、弘前城では、

天守を移動して石垣の大工事の真っ最中。

ここでは、

名古屋城の「築城図屏風」で、

石垣普請の様子が説明されています。

「明治・大正時代の石垣普請」

昔から崩落したり

結構大変だったんですね。

「現在の石垣修復工事」

コロナの影響もあるのでしょう、

工期は伸びたようで、現時点では、

令和九年完成を目指しておられるようです。

杉の大橋

三の丸北側と二の丸南側を繋ぐ、

「杉の大橋」へ。

ちょと見えた(笑)

この地図は下側が「北」ですので、

冒頭の案内図とは逆ですから

頭の切り替えが必要かも(笑)

妻が好きな「鳥」の案内を撮影。

杉の大橋(三の丸側)。

案内を書き出すと

以下になります。

「南内門外の大橋に当たり、

名称は杉材を用いた橋ということから

付けられたといわれる。

文政四年(一八ニー)に濠の両側が

石垣となるとともに、

檜材によっで掛替えされた際に

潤干・擬宝珠がつけられたものである。」

神社への太鼓橋のようですね。

杉の大橋を渡り二の丸へ突入!

南内門

二の丸では南内門が待ち構えています。

枡形。

正面。

案内を書き出すと

「建築年代は、

築城期まで遡ると考えられています。

二の丸東門と同様に、

一階正面の柱にケヤキ板を、

化粧のための鏡板として張り付けるなど、

内廻りの門としての配慮がなされていると

考えられる城門です。

建築当初は本瓦葺でしたが、

文化年間に銅瓦を葺いた

記録が残っています。」

このようになります。

城内側はやはり白漆喰が

幅を利かせています(笑)

弘前城には石垣も多くありますが、

門の横などは石垣ではなく、

土塁が多用されています。

労力と経費節減を考えれば

合理的と言えるでしょう。

未申櫓ひつじさるやぐら

南内門入って左側(西側)の

未申櫓へ。

この「未申」、

明石城駿府城など「坤」と

一文字で書かれる場合もありますね。

「未申櫓」の案内を

書き出すと以下になります。

「城郭に取り付く敵を攻撃したり

物見のために造られたもので、

防弾・防火のために

土蔵造りとなっている。

現存する三つの櫓はいずれも三層建てで

同じような形であるが窓の形など

細部の造作に違いが見られる。

櫓の方向を十二支で示したもので、

未申は南西に当たる。」

辰巳櫓

次に反対側、南東の辰巳櫓へ

幅広の登城路。

「二の丸大シダレ」

平成23年12月に大雪で

根元から倒れながらも

ここまで回復しているようです。

そして、少し行くと、

見えてきました、辰巳櫓が!

以下、案内です。

「城郭に取り付く敵を攻撃したり

物見のために造られたもので、

防弾・防火のために土蔵造りとなっている。

一・二層は四間四方の同面積であるが、

三層目を小さくし、

屋根は入母屋にしている。

この櫓で、藩主が三の丸を通る

弘前八幡宮の山車行列などをご覧になった。」

こちらは三の丸から

堀越に見た辰巳櫓です。

辰巳櫓の先に広がるのは、

馬場っぽくも見えな〜

なんて思っていたら馬場でした!

案内は・・見逃しています(汗)

(続く)

 

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