法華寺(奈良市)

 

光明皇后発願の寺

法華寺の縁起を書き出すと

次のようになります。

「(前略)

法華寺創建は奈良時代。

聖武天皇の后・光明皇后の発願により、

それまで光明皇后の父・

藤原不比等邸だった場所に

七堂伽藍を建立しました。

741年、聖武天皇は

「国分寺・国分尼寺建立の詔」を出され、

それにより東大寺を総国分寺、

法華寺を総国分尼寺とされました。

1300年前、

病気や貧困に苦しむ人々を

お救いされてきた光明皇后。

その慈悲のお心を今に伝え、

訪れる方にも

感じていただければと思います。」

ここは平城宮の中でも一等地。

通勤にも便利だったはずです(笑)

そこをお寺にするほどに

光明皇后の仏教への思いは

篤かったのでしょう。

駐車場

法華寺には、

広大な駐車場があるので、

安心して参拝ができます。

この時間は僕たちの車一台のみ。

貸切状態でした。

「光明宗 総国分尼寺 法華寺」

少し抜粋すると

「総国分尼寺・法華滅罪之寺は、

後に略して法華寺と呼ばれ、

中世の頃より宮家や公家の姫君が

入寺されるようになりました。

姫様の入寺された御寺は

尼門跡と呼ばれるようになり

法華寺もその頃より法華寺門跡と

呼ばれ現在に至っております。」

このように書かれています。

赤門

入口は「赤門」と言われる、

江戸時代建立の門です。

赤門。

境内案内図で行き先を確認。

鐘楼

まずは、目の前の鐘楼へ。

鬼瓦に慶長七年(1602)の

刻銘があると案内され、

国指定重要文化財となっています。

本堂へ

鐘楼から本堂まではすぐの場所。

手前の塀の前に石碑が見えます。

會津八一の石碑。

「ふじはらの おほききさきを うつしみに

あひみるごとく あかきくちびる

(大意)

藤原の大后の生身のお姿を、

まのあたりにするようなその赤き唇よ」

このように解説されています。

今回の奈良の旅では、

喜光寺新薬師寺に次いで、

3つ目の八一さんの碑との出会いですが、

本堂の十一面観音菩薩(レプリカ)の

お顔を拝見した後に読み返すと、

この歌があらためて、

心に染み入って来ます・・・

新潟生まれの八一さん、

奈良のお寺に愛されまくっていますね!

本堂拝観

次に本堂へ。

本堂。

パンフレットによると

「慶長六年(1601)に

淀君により寄進、復興されたもの」

このように書かれていあます。

淀君・豊臣秀頼の親子は

数多くの寺社を復興していますが、

関ケ原の戦い後、

豊臣家の莫大な財産を減らす為、

「徳川家康からそそのかされた」

という説が比較的有力視されていますが、

「ただ信仰心が厚かった」という説を

信じてみたいものです。

実際に、復興された寺社は、

令和の今でも残っているものが多く、

常に「淀君・秀頼」の名を目にし、

その遺徳を感じずにはいられません。

本堂斜めから。

縁起。

本堂前で見つけた不思議な石。

礎石のようですが、

無数の盃状穴が彫られています。

本堂入口。

丸太の椅子も配置され、

体の不自由な方への配慮も

行き届いています。

本堂内は撮影禁止なので

ご本尊様の写真はありませんが、

パンフレットによると

「十一面観音菩薩立像。

法華寺の御本尊様、

光明皇后が蓮池を歩く姿を写したとされ、

国宝に指定され、年三回御開帳されます。

通常公開されている御分身は昭和初期に

インド政府より寄進された本白檀の一木で、

本尊さまと同じ大きさで刻まれた

十一面観音菩薩立像です。」

このように書かれています。

実際に拝見して、

間違いなく、

光明皇后のお姿だと確信しました。

拝観後、ツーショット完了。

護摩堂

平成十六年(2004)再建された

新しい護摩堂です。

池の上に建つ護摩堂。

噴水に涼しさをもらい、

気力も回復(笑)

横笛堂

赤門横に建つのが、

法華寺最古の建築物、横笛堂です。

室町時代以前に建てられたもので、

法華寺のサイトには、

現在本堂にまつる

横笛像を安置していたため、

「横笛堂」と呼ばれると書かれています。

稲荷神社

ここも神仏習合。

ホントに奈良は神仏習合が

昔のまま残っている貴重な場所です。

鳥居。

本殿の覆屋。

本殿に参拝。

薬師堂

稲荷神社横に配置されたのが、

薬師堂です。

参拝。

からふろ

光明皇后と言えば「からふろ」。

そんなイメージの僕には必見の場所です。

道案内。

明和三年(1766)再建のからふろ。

「からふろ」の案内。

書き出すと以下になります。

「この浴室は古くから

「からふろ」と呼ばれ、

法華寺本願光明皇后が、

難病者たちに入浴の恵みを

たれ給うたところであります。

傍らの井戸は、常に清らかな水をたたえ、

この浴室の伝統は

井戸と共に古い由緒を伝えています。

浴室の内部は二部屋になっていて、

両方共にむし風呂になっています。

近年まで実際に利用されていました。

(後略)」

光明皇后が自ら

難病者の背中を流したなど

伝説もありますが、

そんなお話が生まれるほどに

慈悲深い皇后様だったのでしょう。

斜めから。

井戸。

からふろの左奥に建つ境内社。

光月亭

光月亭は、

18世紀中旬の建物で、

昭和46年に移築されたものです。

休息所として利用されています。

いや~!嬉しいですね!

無料で飲み放題とは(笑)

やはり光明皇后の「施しの御心」

ここにも健在ですね!

華楽園

法華寺の東側に

華楽園という植物園があります。

エントランス。

ここのメインは蓮池。

観賞用場所で、蓮に感動する妻(笑)

これにて法華寺の拝観は完了です。

追悼

法華寺訪問の前、

大和西大寺駅前に行きました。

元首相が駅前で凶弾に倒れたのは、

僕たちが奈良に行く1週間前の事。

たまたまですが、そんな時期に

奈良の旅を計画していたのも

何かの導きがあったのでしょう・・・

僕たちも献花台まで200mほどの

長い行列に並び、追悼しました。

安らかにお眠りください・・・

 

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