人吉城歴史館(熊本県人吉市)
睡魔との戦い
朝3時半起きというのは、
旅をする場合にありがちなものです。
今回も妻が弁当を作ってくれたので、
(決して強制はしていません、
あくまでも妻のご厚意です・・・多分?)
やはりいつものパターンでした。
そして、人吉城歴史館に着いたのは、
途中、大道草を食ったのもあって(笑)
予定よりも2時間近く遅い
午後3時ごろ。
僕もワインディングロードを含む
山間の道を運転した緊張感の
緩みか、人吉城歴史館に入って、
映像などを見ていると、
あまりにも心地よくなってしまい、
二人してビデオの前に座って
寝てしまいました(汗)
人吉城を攻める前に、
人吉城歴史館の居心地の良さに
身も心も蕩けさせられたかのようです(笑)
興味津々で来たのに、
睡魔に勝てないとは・・・
人吉城、鉄壁の守りと言えるでしょう(笑)
人吉城歴史館へ
人吉城歴史館は、人吉城の西外曲輪、
武家屋敷跡に建っています。
城側から見た全景。
エントランス。
看板の文字の並びが、
昔風に右から左へ、
「館史歴城吉人」となっていて、
雰囲気を盛り上げてくれます。
こちらは、人吉城歴史館の
パンフレットから抜粋させていただいた、
館内のご案内です。
やはり「地下室遺構展示室」が、
一番行ってみたい場所ですが、
まずは、館内を巡ってからのお楽しみ(笑)
撮影OKのものは、
表示が付いています。
南北朝時代は、
人吉を根拠とする下相良氏と
多良木を根拠とする上相良氏が戦い、
北朝方の下相良氏が勝利し、
江戸末期まで続いています。
人吉城のジオラマは秀逸。
中世の人吉城。
戦国時代の相良氏の居城。
僕たちが以前訪問した、
八代城や佐敷城もあります。
この後、いくつかの映像で、
睡魔に襲われ、少し記憶が飛びながらも
ここに来た一番の目的を果たすべく、
地下室遺構展示室の見学に向かいます。
ここだけは、特別な場所なので、
職員の方に声をかけ、
鍵を開けてもらい、
案内してもらうしくみですが、
親切にも先方から
「ご覧になりませんか」と
声をかけてくださいました。
こちらは人吉城歴史館の
パンフレットから抜粋しました。
以下もパンフの文章です
「相良家家老相良清兵衛の屋敷跡から
発掘調査で発見された石積みで
囲われた井戸を持つ地下室です。
寛永17年(1640年)に描かれた
絵図から「二階持仏堂」の地下にあたると
推測されますが、全国にも例がなく、
その用途は謎に包まれています。」
実際に見てみると、
大きな岩風呂みたいでしたが、
深さがあるので、溺れそうです(笑)
館外の案内。
人吉城歴史館は、
相良清兵衛の屋敷跡に
建てられています。
Wikipediaによると
相良清兵衛は藩主から専横を糾弾され
津軽(青森県)に流刑となっていて、
「現在の青森県弘前市相良町は
頼兄(相良清兵衛)の屋敷が
あったことに由来している。」
と書かれています。
青森が呼んでいる・・・
これは行くしかないでしょう!
いつ行く?
今・・・じゃないでしょう(笑)
最後は人吉城バックの
顔出しパネルで、妻は殿様に。
いつでも殿様ですけどね(笑)