下関市立歴史博物館(山口県)

 

長府

「ちょうふ」と聞くと、

関東の人は多分、

「調布」だと思うでしょう。

僕も一時期関東に住んでいたので、

同じく頭には「調布」が

浮かぶタイプでした。

ところが、この数年、

山口、特に下関を旅することが

多くなってくると

何かにつけて「ちょうふ」という名前が

目に耳に飛び込んでくるのです。

ここのちょうふは「長府」と書き、

江戸時代の長州藩の支藩の一つで、

幕末維新の檜舞台となった場所です。

長府の町並みは、綺麗に整備され、

歴史的な由緒があるお寺や神社、

毛利家の屋敷などと

現代のお洒落なカフェなどが

程よく混在しています。

長府を満喫するならば、

車の移動ではなく、

ゆっくりと一日かけ、

歩いて散策するのが

いいでしょう。

と書いた僕は、

車での急ぎ旅でした(笑)

下関市立歴史博物館へ

功山寺の真ん前にあるのが、

ここ下関市立博物館です。

功山寺の駐車場に車を置いたままなら

無料なのですが、

真面目な僕は、

100mほど車を移動させ、

1時間100円の博物館駐車場に

入れなおしました。

変な所で、義理堅いというか

お寺を見る時間だけが無料だと

勝手に思ってしまう、

ここでもめんどくさい性格が

露呈してしまいました(笑)

そして、さらにめんどくさいのが、

こんな光景にガックリする性格(汗)

電線は必需品なので仕方ないですが、

博物館の前(功山寺の前でもある)は

電線だらけなのです。

ここだけ電線を地中に埋めるとかして、

景観を保つことも

考えてもらえればと思った矢先、

「金だよ、お金!」

そう天の声を聞いて

「あ〜ゴメン!予算無かったね!」

そう完結した僕でした(笑)

エントランス。

フロア案内。

左下の空白のスペース、

いったい何かな?

博物館の中庭にある、

幕末、長州藩主審の志士と

坂本龍馬夫妻のオブジェ。

オブジェの人物を紹介。

よく見ると、7人にプラス、

妻の顔も写り込んでいますね。

8人の志士?(笑)

その後、下関の歴史をたどる常設展へ。

ここは数点を除き、

全て撮影OKなので、

思いのほか多く撮影していました(笑)

ここでも和同開珎は

作られていたのですね。

鋳型など。

坩堝(るつぼ)

徳川綱吉の子供が使った玩具。

下関との関係は何でしょうか?

そして、僕が最も気になったのがこちら。

以前妻と一緒に参拝した

下関、長府に鎮座する

忌宮(いみのみや)神社の境内図。

今の境内と同じ部分もあるし

変わっているところもあって、

興味津々です。

実は、この後に参拝した神社でも

忌宮神社と関連するものと出会い、

結局この日、予定外だった

忌宮神社に参拝することになろうとは、

このときは誰も思っていませんでした。

誰もって?僕しかいないか〜(笑)

長府藩初代の毛利秀元は、

文武両道で、徳川家光の

御噺衆(おはなししゅう)の

一人だったそうです。

徳川家光の絵。

上手いのか、

それとも…(笑)

西国大名、56家の

帆印、船印、船幕を描いたもの。

海峡を監視していた役人が、

船が通る度に、

これを見て照合していたのかも?

これが監視小屋に貼ってあれば、

今日入ったバイトの学生でも

仕事が出来そうで、

なかなか秀逸です!

分かり易くするのが、

仕事をミス無く実行する

最短距離ですからね。

吉田松陰の像(多分)

高杉晋作ら志士達の

スポンサーであり、自らも

奇兵隊として戦った、

豪商、白石正一郎邸の浜門。

海に面した門まであるとは、

やはり豪邸は凄い。

馬関戦争絵図。

門司の甲宗八幡宮あたりから

眺めているようです。

確かに高台に鎮座しているから

見晴らしは良いはず、

今度、甲宗八幡宮に行ったら

確認してみよう!(笑)

詳しい解説。

高杉晋作が指揮をとった

小倉口の戦いの図。

どっから見たのでしょうか?

高杉晋作の遺品。

映像での馬関戦争も

わかりやすかったです。

日本側の青銅製の大砲。

あまりにも大砲が少なく、

日本側(長州藩)は

こんなダミーも準備していたようです。

物資不足の日本軍、

20世紀の太平洋戦争でも

同じことしていました…

木製のダミー飛行機、

木製のダミー戦車…

時代は変わっても

やることは同じか〜(汗)

戦争は精神だけでは勝てません。

お金と技術があってこそ

精神が生かされ、そして

戦争に勝利出来るのですから。

長州藩の防御陣地図。

気になるのが、

「●印は地雷火設置場所」

の文字。

この時代に地雷があったのか!

しかし、これは、

海岸線に加えて山あいにも

かなり敷設されているではないか。

今も残っていたら危険…かも?

馬関戦争時の四国艦隊の写真。

これ見てびっくり!

高杉晋作(当時は、宍戸刑馬と改名)が

連合国との休戦交渉をしたのです。

当時高杉晋作は、

25歳〜26歳くらいだったはずですが、

そんなに若くして

こんな重要な役目を負うなんて、

凄い人だったのですね!

しかも通訳が、

伊藤博文(当時は俊輔)という

豪華メンバー(笑)

この人は当時20代前半のはず。

明治維新って若者の凄さばかりが

目につきます…。

最後に関門トンネルの絵はがき。

日中戦争が始まる直前、

今思えば暗い時代に思えますが、

その当時に、

こんな夢のある絵葉書があったとは!

「駅」ではなく「停車場」と

表示されているのが、

なんかレトロで素敵ですね。

これで、常設展は見学完了。

長府と言えば、日露戦争の

乃木希典(のぎまれすけ)の出生地ですが、

何故か全く展示がありませんでした。

長府には乃木神社だってあるのに、

これは大きな謎です(笑)

今日のへ〜!

何という偶然なのでしょうか。

僕たちが博物館に行った次の週、

博物館の学芸員がアテンドする、

「ブラタモリ関門海峡、下関/門司」の

放映があるのです。

見たいけど、

仕事の関係でリアルタイムでは

見られないし、

しかもビデオ装置もない我が家、

妻に見てもらい、

その様子を教えてもらう予定です(笑)

 

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