肥前国庁跡歴史公園(佐賀市)散策編

執念が結実
肥前国庁跡を発見するまでには、
かなり困難な道があったようです。
このパンフレットを
要約・抜粋すると以下になります。
「肥前国を統治する国庁の所在地は
現存する地名や、印鑰社、国府寺、
尼寺等の史跡の存在から、
佐賀市北部域の大和町久池一帯に
あったと考えられていましたが、
場所は特定されていませんでした。
昭和50年に長崎自動車道の
建設計画が国庁跡推定地周辺でなされ、
それに伴う開発の波が
この地に押し寄せてくることも
予想されたため、
国庁跡を発見するための
確認調査が10年計画で
実施されました。
【調査経過】
田んぼや畑に間隔をあけ
トレンチを入れる地道な作業。
↓
昭和53年、4度目の調査で
大型の掘立柱建物跡を発見。
↓
昭和57年度の8次調査までに
国庁内の主要建物、
築地に囲まれた国庁の範囲も確定。
↓
その後、国司の館跡と推定される建物群や、
倉の跡、役所関連と想定される
建物跡も確認、
国庁を中心とした国府とよばれる区域が
広範囲に広がっていることがわかる。
↓
調査は継続され今に至る。」
全国多くの史跡でも見られるように
開発による「外的要因」が背中を押して、
肥前国庁の発見に繋がっています。
漠然と「あるはず」と思っていても
予算的にも心情的にも
「本格始動」は出来ませんから・・
佐賀県の執念が実って
本当に良かったと思います。
ただ、
それを考えると
学者達の誰もが「絶対に無い」としていた
大阪の難波宮を
周囲からは狂人扱いされながらも
執念で存在を発見した山根徳太郎氏は、
特殊中の特殊という事が
改めて浮き彫りにされます・・・
南門
資料館から実際の遺跡へ。
駐車場を通過。
ここでは駐車スペースに芝が敷いてあり、
最初は停めていいのかどうか、
躊躇してしまいました(笑)
肥前国庁跡は、
肥前国府跡関連遺跡の核となる遺跡です。
頂いたこの資料の中から、
現在復元されている国庁跡を確認します。
大きく3期ある中の真ん中、
9世紀前半〜後半の「第2A期」の
平安時代初期から中期後半位の
「最盛期」が復元されています。
説明を抜粋すると
以下になります。
「前殿・正殿・後殿・東西各脇殿を
平面整備し、
南門と両翼の築地塀の一部を
実物大で復元したものです。
国庁域の範囲である築地塀は、
樹木の垣根(イヌマキ)で表しています。」
見た目と予算の
最大公約数的な復元方法で、
これがベストと言えるでしょう。
南門・築地塀、樹木の垣根、
見応えありますね!
案内板を確認。
南門
やはりメインは南門です。
南門正面からの眺め。
往時は両翼も全てが築地塀だった事を
想像しながら見ると、より楽しめます。
近影。
屋根瓦がカラフルで、
思わず日清の「ごろグラ」の
パッケージを連想してしまいます。
「ごろグラ」、食べた事ないけど(笑)
斜め遠景。
ここからだと
屋根瓦の「ごろグラ」感、
マシマシです(笑)
資料館で見た
「バームクーヘンみたいな築地塀」、
この一文が蘇ります(笑)
国庁内覧
築地塀横から国庁敷地内へ。
ここから平面整備された各建物跡を
西側〜正殿〜東側と巡ります。
西脇殿南棟。
西脇殿北棟。
前殿。
正殿。
後殿。
東脇殿北棟。
東脇殿南棟。
動画でも撮影。
南門内側の扉。
ここからは出られないので(笑)
先ほどの築地塀横から外へ。
最後にツーショットで〆。