法界寺(会津坂下町)本堂
嬉しい思い
法界寺の本堂で参拝していると
御住職の奥様らしき女性から
「こちらにどうぞ」と
本堂右奥にある
中野竹子の遺品などを収めた
展示コーナーに案内され、
お言葉に甘えお邪魔する事に。
そこでは気になっていた
中野竹子の薙刀を見ることも出来、
妻は涙ぐんでいました・・・
そして、
資料をいただくと共に、
展示品を前に心を込めて
竹子さんの話をしてくださったのです。
女性の誠実で穏やかな語り口調に、
「こんな方に見守られて、
お墓に眠る竹子さんも
地域の戊辰戦争殉難者の方々も
心安らいでいるだろうな・・」
そんな
嬉しい思いになっていました・・
法界寺に参拝でき、
女性とのご縁を頂けたこと、
改めて感謝しております。
戊辰役殉難碑(慰霊碑)
戊辰戦争では薙刀で戦い、
亡くなった、
中野竹子さんのお墓に参拝後、
その斜向かいに建つ
戊辰役殉難碑へ。
参拝。
この慰霊碑についての資料も
いただきましたので、
ここで確認してみます。
記されているのは、
会津坂下町出身者と
この地域での殉難者で、
自刃された女性、子供が
何と多い事か!
言葉がありません・・・
また、
会津藩だけでなく、
同じ奥羽越列藩同盟の長岡藩、
そして新政府軍の
越前藩、高田藩、小倉藩、
長州藩士たちの名も・・・
戦争とは双方ともに
傷つき、苦しむ事なのです・・
境内散策
ここから少し境内を散策。
六地蔵。
弁天堂。
「弁財天」と書いてあるのかな?
斜めから撮影。
この弁天堂は、
法界寺がここに移転して来る前から
ここにあったという説も
あるそうです。(資料による)
この世の生き物全ての霊を宿させる
「三界萬霊塔」。
この後は本堂へと向かいます。
本堂
まずは頂いた資料を確認。
曹洞宗で本山は永平寺。
僕たちは今年の四月、
福井県の永平寺で、
道元禅師の御真廟、
承陽殿にお参りしましたが、
そのご縁もあって、中野竹子さんに
繋がったのかもと思ってしまいます。
本堂平面図右上の部屋が
竹子さん達が
「最後の夜」を過ごした部屋です・・
寛政元年(1789)建立の本堂。
恐らく以前は茅葺だったのでしょう。
本堂内に入り参拝。
ここで妻が雄叫びを!
「あれ、菊水だ!」
両柱の板碑の上部を見ると・・
お〜菊水紋ですよ!
楠木正成公との関連なのか、
はたまた寺紋なのか、
確定したことは分かりませんが、
会津武家屋敷に移築された
中畑陣屋も同じ菊水紋でしたし、
会津と菊水紋の関係って、
何かありそうな気がしますね!
そして、
ここからは頂いた資料を
法界寺さんへの敬意を持って掲載、
一部を抜粋・解釈し、
僕たちのかけがえの無い
良き思い出とさせて頂きます。
こちらは「中野竹子」について
お寺の方が書かれた文章です。
「22歳で亡くなったけれども
全身全霊、その時、その時で
やるだけのことを
やって生きた人」
これに集約できますね・・
全身全霊でなんて言えはしても
実行するのは・・難しいな・・(汗)
「会津藩では藩校、寺子屋、各家庭に
論語の小冊子を配るなどして、
小さい頃から
学問に触れる機会が多かった」
これも女史教育が出来た要因の一つ
といような事も書かれています。
最後に会津魂について、
「良い意味でのがんこさ、
義理人情のある所、
文武両道等々を受け継ぎ、
発展させて、
その良さを現代社会に
生かしていければいいと思う」
このように結ばれています。
僕たちはその義理人情のある
「会津魂」のお陰で、
法界寺での素晴らしい思い出が
出来たのですから、
会津魂をお土産に
頂いたようなものですよ!
エピソードなど。
「入浴中のぞき見され、
薙刀で追いかける」
これには笑ってしまいますね!
竹子さんの書。
(8)は遺墨です・・
難し〜い漢文、
でもこの解説のお陰で、
ほんの少し理解できたかな?
ご本尊の釈迦如来様、ありがとう!
会津魂のお土産を頂き、
充実感溢れるツーショットで
法界寺参拝は完了です。
今日の癒し
法界寺のゆるキャラに、
癒されました〜!
資料の裏側に押してあったスタンプ、
薙刀女子の「こたけちゃん」。
「こたけ」とは、
中野竹子の墓石にも刻まれた雅号
「小竹」のことですね!