戸ノ口堰洞穴(会津若松市・飯盛山)

 

偉業を知るきっかけ

戸ノ口堰洞穴とは、

江戸時代、猪苗代湖から

会津若松盆地へ引かれた

水路の一部を構成する洞穴です。

この洞穴、

明治維新直前の

慶応四年(1868)に起きた

戊辰戦争に於いて、

白虎隊が猪苗代湖畔からの

退却路として使ったことにより

僕たちが訪問するほどに

有名となったのです。

大変な労力をかけて

水路を作ったという

「偉業」を知るきかっけは、

はからずも

白虎隊の悲劇だったのですね・・・。

洞穴周辺の散策

嚴島神社の境内に隣接して、

戸ノ口堰洞穴はあります。

奥の穴が洞穴ですが、

水流は早く、

あそこを潜って退却するのは、

命懸けだったことでしょう。

「白虎隊が辿った道」

これは素晴らしいですね!

地図自体が立体的で、

猪苗代湖を青色、

進軍、退却路を黄色で、

色分けしてあるので、

初心者(笑)でもスッと

頭に入ってきます。

「戸ノ口堰洞穴」

案内を書き出すと、

以下になります。

「猪苗代湖北西岸の戸ノ口から、

会津盆地へ水を引く用水堰で、

全長31Kmに及ぶ。

元和9年(1623年)

八田野村の肝煎八田内蔵之助が、

開墾のため私財を投じ工事を行い

寛永18年(1641年)

八田野村まで通水した。

その後、天保3年(1832年)

会津藩は藩士佐藤豊助を普請奉行に任命し、

5万5千人の人夫を動員し堰の大改修を行い、

この時に弁天洞穴(約150m)を掘り

同6年(1835年)完成した。

慶応4年(1868年)戊辰戦争時、

戸ノ口原で敗れた白虎士中

二番隊20名が潜った洞穴である。」

橋の向こうにも

石碑があります。

「戸口堰碑」

こちらには、

戸ノ口堰洞穴について

堰の開墾には、

蒲生忠郷、加藤明成も

関わっていることなどが記され、

より詳しい案内となっています。

別角度から。

白虎隊の姿を思い浮かべながら、

改めて洞穴を凝視(笑)

戸ノ口堰水神社

次に傍に鎮座する神社へ。

参道と戸ノ口堰洞穴。

参拝。

案内はありませんが、

水の神様なので、

御祭神は、

罔象女神(みつはのめのかみ)と

勝手に推定(笑)

神額の「戸ノ口神社」には、

「源保男書」と記されています。

「源保男」さんをネットで調べると、

松平容保の七男で、

松平保男(もりお)という方で、

会津松平家の12代当主だと

わかりました。

(源氏なので「源」姓で

書かれているのでしょう)

参道を戻り、

次なる目的地、「さざえ堂」へ。

 

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