法界寺(会津坂下町)中野竹子の墓
ばんげ
旅の楽しみの一つは、
珍しい町名に出会う事。
会津坂下と書いて「あいずばんげ」と読む。
「さかした」じゃなく「ばんげ」なんて、
これは地元以外の人には
ちょと分からないでしょうね(笑)
駐車場問題
法界寺の山門前は車一台が
やっと通れる位の細い道で、
駐車場も見当たりません。
妻がお寺の方に聞きに行くと、
お寺裏側の広い駐車場を
親切に教えてくださいました。
これは広い!楽ちんだ〜(笑)
これにて駐車場問題は無事解決!
参道
本堂の裏側から境内へ。
駐車場(裏側)から見た本堂の屋根。
茅葺き屋根の特徴を残した銅板屋根は、
斬新で、素晴らしい景観です。
そして山門へ。
山門はシンプルな四脚門。
山門正面。
「会津戦争之烈婦中野竹子之墓」。
中野竹子をワンフレーズで
言い表していますね・・・
世が世なら「烈婦」ではなく、
「賢女」として日本の為に
尽力されたはず・・・
案内を書き出すと、
以下になります。
「辞世の歌
武士(もののふ)の猛き心に比ぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも」
「風雲急をつげる戊辰の役に
竹子は娘子軍を編成し、
自ら隊長となり、鶴ヶ城教援に赴いた。
薙刀に長じた竹子は
勇戦奮闘中不幸にも銃弾に倒れ、
介錯を命ぜられた妹優子は
泣く泣く首をはね
娘子隊編成の地である
法界寺に葬った。竹子は書をよくし、
数点の遺墨と薙刀は寺宝となっている。」
この案内からも分かる通り、
ここにある竹子さんのお墓は、
いわゆる「首塚」になるんですね・・
山門をくぐると左側に見える
ひときわ美しい枝ぶりの松の木が、
参拝者を歓迎してくれます。
実はこの松、
中野竹子のお墓に
植えられているもので、
竹子さんが歓迎してくれている
気がしてしまいます・・・
中野竹子の墓
松の木を回り込むと、
竹子さんのお墓の正面になります。
立派な墓域ですね・・
なぜか上部が赤い手水鉢。
何かを意味しているのかな?
参拝。
書家としても
秀でていたからでしょうか、
墓石には雅号の小竹(しょうちく)が
刻まれています。
また、
お墓の周りには、
竹子さんを顕彰するように
いくつもの石碑が建てられ、
いい意味で
賑やかしく演出されています。
「烈婦中野竹子女史之英霊」。
確かに竹子さんは、
「御英霊」ですよね・・
辞世の句碑。
「嗚呼壮烈」と題された
大正六年建立の慰霊碑。
竹子の父平内の歌。
この石碑には、
「墓石の字句消滅をおそれ
これを後世に残すために建立する」
「小竹女史之墓
明治二年越後の府吏横井、沢田氏建之
明治紀元戊辰仲秋廿四日
忠婦若松城西柳橋に於いて戦死す。
二階堂三碩誌す
昭和四十八年三月二十四日
當山廿八世 哲全秦雄代」
このように書かれています。
「墓石の字句消滅をおそれ」
・・・何と素晴らしい!
ここまでして、
中野竹子さんおの墓を
後世に伝えようとする意思には、
ただ敬意しかありません。
(続く)