北海道神宮(札幌市)神門・拝殿

 

パンフレット

社務所でいただいた

パンフレットをデータ化。

僕が中学生の頃、

たま〜に巨人戦をやっていた

円山(まるやま)球場って、

北海道神宮の側だったのか〜!

意外なツッコミどころがある

古い年代の僕です(笑)

北海道神宮の主役は島義勇しまよしたけさん。

何といっても東京から

開拓三神の御霊代を背中に担いで、

札幌まで徒歩で運び、

ここに鎮祭した方ですからね!

「神宮の桜」として、

福玉仙吉が島義勇の慰霊のために

桜を献木されたことも記されています。

境内図。

間違いなくここは桜の園(笑)!

神門

島義勇判官銅像にご挨拶後、神門へ。

通りすがりの着物姿の女性、

やはり神社には着物が似合うな〜!

神明造の神門。

この注連縄しめなわの名前は

「フラヌイ大注連縄」と言います。

フラヌイとは

アイヌ語で「富良野」の事。

四年に一度、

富良野から奉納されるので、

この名前が付いていると思われます。

フラヌイ大注連縄の特徴は、

米俵が載せられていること。

正面からも撮影。

実はこのフラヌイ大注連縄、

札幌旅行の一月半ほど後に旅した、

青森県弘前市の岩木山神社の注連縄と

よく似ているのです。

こちらは岩木山神社拝殿の注連縄です。

一体何故こんなに似ているの?

そう思い、深掘りしてみると、

北海道開拓時代、

富良野には、津軽地方からの

農民集団移住があり、

その末裔の方々が、

北海道神宮の大注連縄を

奉納されているようなのです。

だから故郷の岩木山神社の

同じデザインの大注連縄を

奉納されている訳なんですね。

注連縄一つとっても

北海道開拓の歴史が詰まっているとは、

ちょっと感動しますよ!

神門くぐって振り返ると、

日の丸の旗と青空が見えています。

拝殿

神門から拝殿へ。

参拝。

御朱印は手書きで達筆!

桜の栞までいただき、

ありがたい限りです。

拝殿前にてツーショット完了。

島義勇没後150年特別パネル展

境内にいると

北海道神宮と言えば島義勇、

島義勇と言えば北海道神宮という位の

一心同体ぶりですが(笑)、

ここでまたさらなる

島義勇フューチャーのコーナーを発見。

コーナーは絵馬掛け、

おみくじ掛けの先に見える回廊です。

壁に注目。

島義勇の故郷、佐賀県の主催で、

10枚のパネルで、

島義勇の生涯を紹介しています。

一枚目には、

「佐賀県では、令和6年(2024)に

没後150年を迎える

佐賀県出身の偉人「島義勇」の功績に

改めて光を当て顕彰する

取り組みを実施しています。

このパネル展では、

幕末の蝦夷地探検や明治初年の

北海道開拓で知られる

島義勇の生涯や功績などを紹介します。」

このように書かれています。

開拓判官になる約10年以上前の、

安政三年(1856)、

藩命で蝦夷地への探検をしていますが、

この経験が開拓判官という仕事に

大いに役立ったのでしょう。

新政府に登用され、

いよいよ

「開拓判官島義勇」の誕生です。

「明治天皇の侍従、

そして秋田県令(今の知事)を経て帰郷。

佐賀の乱に巻き込まれる形で、

首謀者として刑死。

その後名誉回復され、

佐賀では七賢人の一人として称えられ、

札幌では北海道神宮や本龍寺で祀られ、

「判官さま」として尊敬を集めています。」

このような内容が書かれています。

右、島義勇が歩いた蝦夷地(北海道)

徒歩って、凄すぎますね!

左、島義勇の志を感じるゆかりの地。

六花亭の焼き餅菓子、

判官さま」も紹介されています(笑)

(続く)

 

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