表米神社(兵庫県朝来市)御社殿編
お城と神社の関係
観光客が押し寄せるような
一部の有名神社を除き、
現在多くの神社は、地域の氏子さんや、
崇敬者達により支えられていますが、
明治維新以前、
神社繁栄の保証をしてくれるのは、
氏子さんたちもさる事ながら、
その地を治める藩主の
崇敬度にあったと言えます。
土地を寄進したり、
御社殿を建築、再建、修理したりと
莫大なお金の出どころの存在あってこそ
繁栄できたというわけですね。
また、戦国時代までは、
敵方についた神社は焼き払われたり、
荒廃したり、あるいは消滅したり、
また、その後代替わりした権力者により
復活を遂げたりと、
神様も生き残るのは
大変だったようです。
江戸時代初期に廃城となったとはいえ、
竹田城の麓に広がる町並みには、
そんな神社やお寺が多く残っています。
表米(ひょうまい)神社へ
車を停めたら一番に行く予定だった
表米神社ですが、
その前に、妻が案内板で見つけた
蛭子神社と金毘羅神社に
立ち寄ったため、
予定よりも30分遅れて、
参拝に向かう事に・・・。
しかし、寄り道出来るほど、
竹田の町には魅力が多いという事、
有り難い事ですね(笑)
竹田城への登山道の一つでもある
表米神社の参道入口。
参道から見える竹田城をズームで撮影。
播但線の踏切を越えてさらに先へ。
ここからが本格的な参道。
一の鳥居(多分)。
町内の各所には、
「竹田散策GUIDE MAP」と称された
親切な案内板があり、
初めて訪れる僕たちには、
実に有り難いものです。
3つほどある登山道のうち、
僕たちが・・・
いえ、僕の独断で選んだ
竹田城までの道は、
「表米神社登山道 約40分 」。
その下には、
(階段460段の険しい登山道)
と付記されています(汗)
これはちょっと手強いかも・・・(笑)
登山道とはいえ、
第一の目的は神社ですから
先を考えず(笑)、
まずは、参拝へ。
門が見えてきました。
横道から神社を
迂回するコースもあります。
神社の案内。
「孝徳天皇の子である
表米親王を祀る」
「丹後・白糸の浜に来襲した
新羅の賊を討伐したとされる」
このような内容になっています。
二つの門
表米神社の特徴の一つは、
「門」が二箇所ある事です。
参道正面の医薬門形式の楼門と
その右奥の随神門。
何故このように並行して二つの門を
作ったのでしょうか?
機能的に考えれば、
疑問が残ります。
もしかすると、
医薬門は竹田城の縄張りの一角として
存在し、廃城後もそのまま残り、
随神門は神社専用?
として存在して来たのかも知れません。
しかし、そんなに古いのかな?(笑)
門だけでも色んな想像を掻き立ててくれる
表米神社ですね。
楼門内の神額。
楼門から拝殿を臨む。
こちらは随神門。
阿吽ではなう吽吽の随神様。
反対側も吽。
御社殿へ
随神門をくぐって、
御社殿のある境内へ。
ここでは、「相撲桟敷」と呼ばれる、
段々になった石垣が、
目に飛び込んできますが、
相撲桟敷については、
参拝後のお楽しみという事にして、
まずは、拝殿へ向かいます。
拝殿へ。
狛犬本体は平成っぽいお顔で、
そんなに年月は経っていないようですが、
台座はかなり古そうです。
吽形。
拝殿。
参拝。
右から拝殿、幣殿、本殿。
俯瞰してみると、
本殿の千木と鰹木は、
正面から見て横方向とは別に、
縦方向にも見えています。
これは、少し珍しい造りですね。
本殿右横から。
軒下の彫刻群の素晴らしいこと!
建立時期などはわかりませんが、
門前の案内に書かれていた、
「欄間と門の大扉の彫刻は、
当時の京都の名工周斎に
よるものである。
また干支を周囲にめぐらせており、
その彫刻の精巧さには
目を見張るものがある。」
との記述どおりに、
彫刻も、建物自体の造りも
かなり凝っていて見応えあります。
馬の彫刻アップ写真。
これが干支の一つでしょうか。
こちらは中国の故事にちなんだ
彫刻のようです。
御神石
本殿の裏で発見したのが、
神様の依代(よりしろ)になる、
神籬(ひもろぎ)である樹木と、
磐境(いわさか)である岩です。
これを見て、島根県出雲市の
万九千(まんくせ)神社で見た
光景を思い出しました。
こちらが、その万九千神社の
神籬(木)と磐境(岩)で、
玉垣で囲ってあります。
表米神社の磐境も注連縄を張って
大切にされています。
お賽銭を入れて参拝。
ネットでの予備知識では全く知らなかった
神籬と磐境の存在、
やはり現場に足を運んでみないと
いけませんね(笑)
拝殿前でツーショットで、
御社殿編は完了です。
(相撲桟敷編へ続く)