医王寺(福島市)本堂
芭蕉好み?
東北を旅すると、
「おくのほそ道」がらみで
ここに芭蕉が来たよ!
って所に出くわします。
ここ医王寺もその一つで、
本堂横には、
江戸時代に建てられた、
芭蕉の句碑もあります。
「活躍したけど報われなかった」
「誠実に頑張ったけど
不器用さゆえ、殺された」
そんな武将を好んで俳句にしたり
思慕したりした芭蕉、
その集大成が近江(滋賀県)、
義仲寺にある木曽義仲のお墓の隣に
芭蕉自身のお墓を建てた事です。
ここ医王寺にまつわる
芭蕉が愛した義仲とは敵対した
義経や佐藤継信・忠信も
結果的には、
「報われなかった」人物たちのお仲間・・
ここに来た芭蕉の気持ち、
なんとなく
理解できる気がしています(笑)
中門
佐藤継信・忠信の墓をお参り後、
最後に本堂へと向かいます。
本堂は山門近く。
本堂へ入る薬医門は、
屋根の造りが二重構造で、
少し珍しい形をしています。
正面から。
勝手口(笑)が左右にある
豪華版です。
本堂前の庭。
木々の中向こうには、
本堂が見えています。
弘法大師像にご挨拶。
ここで、
弘法大師さんが霞むほどの
存在感を放つものを発見!
これには思わずニヤリ!
必死で懇願しているかのような
体(てい)のカエルさん、
めちゃ癒されました〜(笑)
文化三年(1806)再建の本堂へ。
中に入れるので、
お邪魔します。
ご本尊、大日如来さんに参拝。
次に右奥の佐藤一族位牌殿へ。
内殿に祀られた
佐藤一族の御位牌に参拝。
案内を抜粋すると以下になります。
「義経一行は奥州に帰って来た。
身代わりとなった
継信、忠信はもう居ない。
二人の息子を思いやった
母・乙和の涙を見て、
兄弟の妻達が、
自らの悲しみをこらえ
夫の甲冑姿を再現して
親の心を和らげたという。
この故事は孝行の鑑として
今に称えられている。
太刀佩いて 武装悲しき 妻の秋
自得」
案内を読み、
改めて人形を眺めてみました・・
継信公の妻、若桜
いつ、誰が作られたものかは、
分かりませんが、
首の傾げ具合、表情、
胸に迫る素晴らしい作品ですね・・・
忠信公の妻、楓。
こちらもまた同じく秀作です・・
芭蕉の句碑
本堂から出て、
芭蕉の句碑へ。
左側が句碑、右側が解説碑で、
アジサイの花が
句碑に寄り添うように咲き、
実にいい雰囲気を作り出しています・・
「笈も太刀も さつきにかざれ 紙のぼり」
意味として、
「(寺宝である)武蔵坊弁慶の笈と
義経の太刀は、端午の節句のように
飾れば良いのではないか」
こんな感じになるようで、
実際に芭蕉がこの寺宝を目にした事も
奥のほそ道には記されています。
また、パンフレットには、
「元禄二年(1689)五月、
「奥のほそ道」の途中、
医王寺を訪れた芭蕉は、
この句を残しました。
句碑は寛政十二年(1800)に
大阪の俳人大江丸の
筆によるものです。」
このように記されています。
江戸時代を通じ、
芭蕉は常に敬愛されていたのでしょう。
散策後は、
いつものツーショットで〆。
この後、
福島縣護國神社へと向かいます。
(完)