義仲寺(滋賀県大津市)前編

 

義仲寺の「肝」

義仲寺ぎちゅうじは、その名の如く、

木曽義仲よしなか(源義仲)の

お墓があるお寺ですが、

そのお寺の格子壁には、

このような案内が貼られています。

「木曽義仲 松尾芭蕉の

「本墓」があるお寺です」

この短い文章で、

ここがどんなお寺なのかが、

一瞬で理解できますね!

ただ、

何であの有名な松尾芭蕉がここに?

と思うのが自然でしょう。

僕も最近知ったのですが、

松尾芭蕉は、

平家追討の志半ばで討たれた

木曽義仲(源義仲)に心を寄せ、

生前から何度も義仲寺を訪れ、

また、

長い期間滞在したりしていました。

さらに、自分が死んだら

木曽義仲の墓の隣に葬るように遺言し、

それによって、ここに

お墓があるという訳なのです。

そんな義仲寺の「肝」を

麻紐などで装飾し、味のある文字を使い、

たった一言で全てを言い表した

この案内は実に秀逸です。

山門前

早朝から近江八幡市にある

観音正寺観音寺城を巡り、

午後3時過ぎに大津市の義仲寺に到着。

義仲寺は琵琶湖の南岸、

大津市の中心部から少し東寄り

膳所ぜぜ城跡の近くにあります。

こちらは比叡山ドライブウエイ

夢見が丘展望台から見た景色で、

義仲寺は琵琶湖の右端の

湖畔に建つひときわ高い、

びわ湖大津プリンスホテル

すぐ右側あたりになります。

斜向かいの有料駐車場から

徒歩で義仲寺へ。

山門前の案内や石柱。

「国指定史跡 義仲寺境内」

以下、案内文です。

「義仲寺の名は、源義仲を葬った

塚のあるところからきていますが、

室町時代末に、

佐々木六角氏が建立したとの

伝えがあります。

門を入ると左奥に、

俳聖松尾芭蕉の墓と並んで、

木曽義仲の供養塔が建っています。

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」

という著名な句は、

芭蕉の門人又玄ゆうげんの作です。

境内にはこの句をはじめ、芭蕉の辞世の句

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」など

多くの句碑があります。

また巴御前を弔うために

祭ったといわれる巴地蔵堂もあります。」

巴地蔵堂

午後三時過ぎとはいえ、

冬の日差しはすでに傾いていて、

日没との競争に勝つためには(笑)

効率よく巡るしかありません。

ということで、

まずは案内に書かれた巴地蔵堂へ。

巴地蔵堂は山門手前のすぐ右側で、

木曽義仲の愛妾であり

同志として共に戦った巴御前。

そんな巴御前の気持ちを察してか、

義仲さんのお墓の

墓守的な位置に祀られているのが、

お寺さんの優しいご配慮を感じます。

出入口。

手入れが行き届き、

凛とした空間。

お地蔵様に参拝。

優しいお顔に癒されます。

朝日堂(義仲寺本堂)

義仲寺訪問の一番の目的は、

木曽義仲と松尾芭蕉のお墓参りですが、

その前に、朝日堂に祀られるご本尊と

木曽義仲公のもとへ向かいます。

山門をくぐり境内へ。

朝日堂は少し奥。

朝日堂の正面。

朝日堂の名前は

木曽義仲が平家物語の中で

「朝日将軍」と呼ばれているのに

ちなんだものでしょう(推測です)

パンフレットを抜粋すると

「朝日堂は義仲寺本堂で、

本尊は聖観世音菩薩。

義仲公、義高公父子の木像を逗子に納める。

義仲公、今井兼平、芭蕉翁、丈艸じょうそう諸位ほか

合わせて三十三柱の位牌を安置する。」

このようになります。

まさに僕たちの目の前には、

この案内通りの逗子や

ご位牌が並んでいます。

ここに導かれたことへの感謝と

皆様の安らかなる日々を祈り参拝。

木曽義仲の墓

朝日堂を少し奥に行くと、

木曽義仲のお墓、

そしてその横には、

松尾芭蕉のお墓があります。

こちらは義仲寺の拝観券です。

芭蕉の没後100年ほど経った、

江戸時代中期に描かれた義仲寺で、

今でもこの絵図に描かれた通りの

お墓が並んで建っています。

木曽義仲の墓。

以前参拝した、

勝者である源頼朝の墓に比べて、

遜色ないほど

手厚くされていますので、

死後の弔われ方では、

勝者も敗者も無く、

「仲良く引き分け」ということで

良いと思います(笑)

また、

パンフレットの案内を抜粋すると

以下になります。

「義仲公墓(木曽塚)

土壇の上に宝篋印塔をすえる。

芭蕉翁は木曽塚ととなえた。

義仲公の忌日「義仲忌」は、

毎年一月の第三土曜日に営む。

ひうち山(元禄二年)

義仲の寝覚の山か月悲し 芭蕉

無名庵にての作

木曽の情雪や生ぬく春の草 芭蕉」

義仲に対する俳句から

芭蕉さんが心から義仲さんを

本当に思っていたことを

ひしひしと感じられます・・・。

参拝。

次に芭蕉さんのお墓へ。

左が義仲さん、

右奥が芭蕉さんのお墓で、

仲良く並んでいます。

風情たっぷりの敷石を歩き、

芭蕉さんの元へ。

松尾芭蕉の墓。

こちらもパンフレットから

抜粋します。

「芭蕉翁墓

芭蕉翁は元禄七年(1694)十月十二日

午後四時ごろ、大坂の旅舎で亡くなられた。

享年五十一歳。

遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、

その夜、去来、其角、正秀ら門人十人、

遺骸を守り、川舟に乗せて、

淀川を上り伏見に至り、

十三日午後義仲寺に入る。

十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。

門人ら焼香者八十人、

会葬者三百余人に及んだ。

其角の「芭蕉翁終焉記」に

「木曽塚の右に葬る」とあり、

今も当時のままである。

墓石の「芭蕉翁」の字は

丈艸の筆といわれる。

芭蕉翁の忌日は「時雨忌」といい、

当時の年中行事で、

現在は旧暦の気節に合わせて、

毎年十一月の第三土曜日に営む。」

墓石に参拝。

飾り気の無い自然石というのが、

何となく芭蕉さんらしい気がします。

(後編に続く)

 

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