胆沢城(岩手県奥州市)散策編

 

胆沢城いさわじょうの巡り方

奥州市埋蔵文化調査センターでは、

来館者思いの有益なパンフレットを

各種準備されていて、

その一つが胆沢城の巡り方です。

東まわり。

「いさわのまほろば」

良いキャチフレーズですね!

「まほろば」と聞くと、

条件反射的(笑)に思い出すのが、

古事記の中の一文、

ヤマトタケルノミコトが、

伊吹山で神の怒りに触れ、

瀕死の状態の中

故郷の大和(奈良)を想って

詠んだとされる

「倭(やまと)は国のまほろば

たなづく青垣 山籠れる

倭し うるはし」

この歌です。

まほろばとは、

「理想郷」「素晴らしい所」

などという意味ですが、

ARで阿弖流為アテルイ、坂上田村麻呂とも出会え

かけがえのない体験が出来た胆沢城は、

間違いなく

僕らにとっての「まほろば」です。

東まわり詳細案内。

西まわり。

西まわり詳細。

僕たちは東でも西でもなく、

めっちゃ簡略化しての散策です(笑)

外郭南門

まずはAR体験で盛り上がった外郭南門へ。

胆沢城のイメージロゴは、鬼瓦。

外郭南門跡と復元された築地塀。

手前は外郭外構と呼ばれる溝です。

AR再現の外郭南門。

案内を抜粋すると

以下になります。

「東北古代城柵では

規模・構造ともに例のない門で、

朝廷の権威を誇示していたと考えられます。

蝦夷支配と在地経営に乗り出す朝廷の

意向が反映されたとみられます。」

「東西約15m、

南北約7.2mの規模です。

地面を方形に掘って

柱を据えた掘立柱建物で、

中央に扉が付きます。」

「胆沢城の外周を方形に区画する土塀です。

外郭築地の各辺を

およそ10分割した場所に、

門や櫓を配置しています。」

このように記されています。

外郭外溝。

案内。

「胆沢城の外郭築地の外側をめぐる溝です。

外郭南門の南側では、

南へ大きく張り出しています。」

このように書かれ、

溝の幅は4〜6m、

深さは1m前後とありますから

薬研堀のご先祖様のようなものかな?

築地塀は、高さ5.4m。

妻の身長1.59mと比べると、

その大きさを実感し、

相当な防衛能力だったことが、

理解できます。

案内には、

「櫓は東北古代城柵の外郭を

特徴づける施設で、

非常時には、

射手が登り外的に矢を射かけます。」

このように記されています。

戦国の城と基本変わらない思想で、

運用されていたようですね。

外郭南門の掘立柱の再現。

ここで感動したのがこちらです。

これはビックリ!

蓋が開くんですよ!

案内には、

「瓦葺きに建て替えた門は、

その重さを軟弱な地盤で支えるため、

柱穴に玉石を詰める工法(壺地業)を

用いています。」

このようにあり、

実体験できるのは有難いことです。

この工法、

礎石と掘立の中間くらいの

強度になるのかな?

ここから築地塀の中へ入り

城内南大路を通り、政庁へと向かいます。

途中、現代の道路を横断(笑)

城内南大路の続きはここから。

政庁地区の案内。

ガイダンスポストなるものも設置。

埋蔵調査センターに行かず、

ここから胆沢城のみを見学する人には、

かなり有難いものでしょう。

政庁前門跡。

南門跡。

南門跡東側からの

政庁正殿を含む眺望。

築地塀の基礎部分が

土塁の如く残っています。

政庁正殿跡。

復元図。

「胆沢城政庁正殿」

「9世紀後半の建物は、

東西約18m×南北約12mの礎石建物で、

屋根を瓦でふいています。

建物内部は土間で、

机やいすを使用していました。

柱は朱塗り、壁は漆喰、

緑の連子窓を用いた建物として

復元しています。」

このように書かれています。

京都の建物群の

コンパクト版といった感じですね。

妻を入れて政庁正殿付近の

規模感を出してみました。

ここで胆沢城の散策は強制終了(笑)

Uターンして駐車場を目指します。

政庁を背にして外郭南門方面へ。

外郭南門跡で築地塀とともに

ツーショット完了。

駐車している

奥州市埋蔵文化調査センターまで

あと少し。

 

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