石井樋公園(佐賀県佐賀市)

 

治水の神様、成富兵庫茂安

僕が、成富兵庫茂安という名前を

知ったのは、半年ほど前、

近世以前の土木・産業遺産という

サイトの中で、彼の業績を見つけた

ことがきっかけです。

Wikipediaによると、

戦国時代の1559年に生まれ、

竜造寺氏、鍋島氏に仕え

文禄の役、慶長の役、

関ヶ原、大坂の陣まで、

戦国時代が終わるまでの

日本史に残る有名な戦いに

参加し、第一線で敵と戦い、

その勇猛さで、援護した加藤清正から

甲冑を賜るほどの人物でした。

戦国武将で公共事業に

手腕を発揮した人は多くいますが、

成富兵庫茂安の突出した凄さは、

大坂の陣が終わって徳川幕府が

盤石となり、平和な時代が到来して後に

「治水」という面を通じ、

その才能と人柄が花開き、

幕末まで続く佐賀藩の礎を作った事、

そして、何よりも農民たちに慕われ、

明治に入って明治天皇から

従四位を追贈されているほどである事です。

そんな成富茂安の

多くの治水工事の中でも

代表的な「石井樋」(いしいび)が

公園化され、彼の偉業を今に伝えています。

さが水のものがたり館へ

佐賀市の北西部、

嘉瀬川のにあるのが、石井樋。

その石井樋を公園化した中に

「さが水のものがたり館」という

資料館があります。

石井樋見学の前にまずは、

そこに入ってみる事にしました。

駐車場の横の案内。

成富兵庫茂安ゆかりの地を

わかりやすく紹介しています。

石井樋周辺図。

駐車場から資料館への途中にある樋。

こちらは、江戸時代後期に造られた

小寺川樋の遺構です。

さが水のものがたり館。

館内には素晴らしいジオラマがあります。

手前が、僕たちがいる

さが水のものがたり館。

ここが見どころの

大井手堰(手前)と

天狗の鼻、象の鼻(上側)です。

成富兵庫茂安の生涯という

年表形式の案内は、

小学生にもわかりやすい内容で、

来館者に優しいものとなています。

その案内によると、

千栗(ちりく)土居、

蛤水道、三千石堰、永池堤、

桃の川の馬頭など、

成富兵庫茂安の功績は、

計り知れません・・・

しかも石井樋から導いた

多布施川の水路は、

昭和35年まで現役だったそうです。

350年も使用可能なもを

作る技術とは、あきれるほどの

凄さではありませんか。

佐賀平野の治水、利水の歴史。

石積みの実物大模型。

「はしご胴木」という

構造物の荷重を分散させる技術も

紹介されています。

一通り、さが水のものがたり館で、

知識を入れたところで、

暑~い(笑)屋外へ。

ものがたり館の前には、

観音堂がぽつんと建っていて、

まずは、ここで参拝し、

石井樋公園の散策へ向かいます。

橋を渡り、一番見たい

天狗の鼻、象の鼻へ。

途中、顕彰碑を発見。

「水功之碑」

明治24年、

成富兵庫茂安の功績をたたえ

建てられています。

同じ江戸時代初期、高知県(土佐藩)で、

土木工事や藩の基礎固めで

貢献した野中兼山は、神様として祭られ、

僕たちが今年3月に訪問した

彼の代表的土木遺構である

新川のおとし」に

神社が建てられていますが、

成富兵庫茂安もこの顕彰碑とは別に、

祭られている神社もあるようなので、

いつか行ってみたいものです。

公園内の風景。

お~来たぞう、象の鼻(笑)

石井樋の水システムの案内。

ずべて草に覆われて、

まったく石積みは見えません(汗)

ただ、左の象の鼻と右の天狗の鼻は、

その形がよく分かりますね。

こちらは大井手堰。

手前に江戸時代初期のものがあり

(発掘されたもの)

奥の現役で使用されているものは、

昔の堰を参考に石やコンクリートで

作っていると書かれていました。

先人の偉業に敬意をはらった

現代の構造物には好感が持てますね!

そしてここで、時間切れ(笑)

この日最後の目的地、

男女(なんにょ)神社を目指します。

 

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