岩木山神社(弘前市)楼門
漢字は同じでも・・
青森旅の2日目は、
前日の「ねぶた祭り体験」に続き、
ねぶたと共に青森の象徴的存在「岩木山」へ
・・・ではなく
その麓に鎮座する
「岩木山神社」へ。
この二つ、ふりがなの通り、
漢字は同じでも、
山と神社は、呼び方が違うのです。
静岡・山梨県に多くある
浅間神社の呼び方も
「せんげんじんじゃ」と
「あさまじんじゃ」が
混在しているし
日本語って、
なかなか難しいですね(笑)
社頭
青森市内のホテルJALシティ青森から
車で走ること約1時間半、
岩木山神社の社頭駐車場に到着です。
当初雲に覆われていた
岩木山の山頂ですが、
時間と共に雲は動き、
山頂は姿を現し、
その勇姿を拝むことが出来たのです!
「環境庁」時代の古地図。
「岩木山神社」
案内を書き出すと
以下になります。
「津軽平野のどこからでも見える岩木山は、
「お山」「お岩木様」と尊称され、
津軽の人々から厚い信仰を集めてきた。
岩木山には北東に巌鬼山、
中央に岩木山、
南西に鳥海山の三つの峰があり、
それぞれをご神体とみなして
「三所権現」と一称した。
山頂には奥宮を置いたが、
平時には麓の下居宮を参詣した。
奥宮への登拝行事が、
現在まで伝わる「お山参詣」である
(「岩木山の登拝行事」
重要無形民俗文化財
昭和五九年一月二九日指定)。
明治四年まで別当寺として
百沢寺があったが、
神仏分離に伴って廃されて、
岩木山神社と称して国弊小社に列した。
現在残る社殿群は、
弘前藩主津軽家の造営によるもので、
慶長八年(一六〇三)の大堂(現・拝殿)、
寛永五年(一六二八)の山門(現・楼門)、
貞享三年(一六八六)から
元禄七年(一六九四)にかけて完成した
下居宮(現・本殿)などを、
初代藩主津軽為信から
四代藩主津軽信政までの間に
整備している。」
神仏習合時代からの建物の変遷を
実に分かりやすく案内されていますね。
神仏分離では国宝級の仏教建造物が
破壊されまくっていますので、
こうして生きながらえてくれ、
嬉しい限りですよ。
車祓所と津軽民謡碑。
参道
参拝スタート。
参道へ。
一の鳥居から岩木山山頂を望む。
岩木山をズームで撮影。
6月というのに、雪が残っていて、
南から来た僕たちには、
新鮮な光景です(笑)
参道から見える岩木山、
どれだけ見ても
たまらんですな〜この光景!
三の鳥居は、渋〜い木製両部鳥居。
奥に見える楼門との
ベンガラ色コーディネートもいい感じ!
楼門手前のおみくじむすび所、
逆三角形には
何か意味があるのかな?
ズームで楼門アップ。
さらに奥へ。
時間が早いので御朱印は、
後ほど授与いただくことに。
神橋に到着。
この雰囲気、
まさに江戸時代でしょう!
水が澄んでいて、
これもたまらんのですよ!
そして、ここで妻が雄叫びを(笑)
「あれ、見て!
めっちゃ綺麗よ!」
そう指さした先は
神橋の真下の水面です。
お〜これは素晴らしい!
新緑の葉が鏡のように映し出され、
なんだか映画の世界に
入り込んだというか、
極楽浄土のような(笑)
光景が広がっています。
古い手水鉢。
もしかすると神仏習合時代、
この左右には僧坊が
立ち並んでいたのかも知れません。
楼門(旧仁王門)自体は大きく立派で、
土台の美しい切り込み接ぎの石垣が、
さらに楼門の「格」を上げているようで、
やっぱ、足元のお洒落は大切ですね(笑)
岩木山&楼門でまた
テンション上がりまくり(笑)
楼門の屋根越しに岩木山をアップ。
いや〜何十回見ても飽きません(笑)
(続く)