徳川家康最初陣地(岐阜県関ケ原町)

 

厭離穢土欣求浄土

徳川家康の旗印には、

「厭離穢土欣求浄土」

(おんりえどごんぐじょうど)と

書かれています。

何やら難しい言葉ですが、

簡単に言うと、

「私利私欲で穢れた世の中を

平和な世の中にするぞ!」

みたいな感じです。

桶狭間で今川義元が討ち取られた後、

配下として戦った

家康(当時は松平元康)が、

お城のある岡崎に戻り

そこで切腹しようとした際、

大樹寺の住職からこの言葉を教わり、

「僕、やっぱり切腹は止めて頑張る!」

そう気持ちを切り替え、

その後、自身のスローガンとして

旗印に使ったという訳です。

260年もの長い間、戦争のない

平和な江戸時代を作った家康公、

間違いなく

「厭離穢土欣求浄土」達成ですね!

徳川家康最初陣地へ

松尾山に登った後、

岐阜関ケ原古戦場記念館へ

向かう予定でしたが、

時間に余裕が出来たので、

その前に気になっていた

桃配山にある

徳川家康最初陣地を訪問。

徳川家康最初陣地専用駐車場。

道路を渡って徳川家康最初陣地へ。

案内。

関ケ原の各武将陣地の案内には、

人物画+旗印+家紋が配置され、

その下に解説文が書かれているという

かなり秀逸なものです。

最初陣地正面。

山の中ではなく、麓に位置するので、

歩いて行くのは簡単です。

ここに家康がいたのでしょうか?

山側も平地になっているので、

お城の曲輪的な平坦地が

あったのかも知れません。

家康には3万の大軍勢がいたわけですから、

この陣地周辺は鉄壁の守りだったはずです。

こちらは明治39年に建てられた石碑。

この側面に書かれているのが、

こんな文字です。

「松尾山江三十九丁

笹尾山江二十八丁」

距離の単位が「丁」というのが、

昔というか、

戦国時代を思わせてくれて、

なかなか良いですね!

一丁を109mとして計算すると、

松尾山は、西軍から東軍に寝返った、

小早川秀秋の陣所で、約4.2km、

笹尾山は西軍を指揮する

石田三成の陣所で約3kmとなり、

思った以上に石田三成とは近い場所です。

関ケ原主戦場方面の案内板。

何故か決戦地のすぐ先にあるはずの

笹尾山、石田三成の陣は、

ここに明記されていません。

案内板を参考に家康目線での眺望(笑)

当時は建物も少なく、

視界は今よりも数段良かったはずで、

ここから三成の陣を見て、

家康は何を思っていたのでしょう・・・。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください