2021/01/23
岩崎城(愛知県日進市)前編
歴史の分岐点
天正十二年(1584年)、
小牧長久手の戦いの一部で、
秀吉方の池田恒興らと
家康方の岩崎城で行われた戦いは、
今に続く歴史の分岐点だったとも言えます。
この時城を守っていたのは
城主、丹羽氏次の弟で、
16歳の丹羽氏重以下300名ほど。
兵力の差により岩崎城は陥落するも
池田恒興らの徳川家康の根拠地、
岡崎への進行は阻止され、
このすぐ後、長久手において、
池田恒興が討ち死にするなど
局地戦での家康の勝利を
もたらしています。
最終的には、秀吉は家康を
屈服させる事が出来ず、
懐柔策へと舵を切り、
豊臣政権に於いて重鎮として遇し、
それは、やがて関ヶ原の戦いにおいて、
徳川家康が天下を手中にし、
その後、大坂の陣での
豊臣家滅亡へと繋がっていくのです。
岩崎城の散策では、
徳川家康の本当の姿も見えてきて、
僕にとっては忘れられない
城の一つになりました。
岩崎城へ
この日は旅の初日、
そして、岩崎城は最初の訪問地です。
博多から新幹線で
3時間15分、名古屋駅に到着。
駅の外から新幹線の車体が
丸見え(笑)というのが、
なかなか珍しいですね。
駅近くの日産レンタカーにて
相棒(車)と合流。
名古屋から走ること、
1時間ちょっとで、
日進市の岩崎城に到着。
遺構の散策
破却されてから
長い年月が経つ岩崎城で、
建物などは残っていませんが、
近年の発掘調査も遺構発見の
きっかけとなったようで、
堀や土塁などは、
思った以上に残っているようです。
シンプルかつわかり易い案内図。
二の丸庭園の案内。
本来は馬出だったと
推測される場所に作られた庭園です。
水琴窟(すいきんくつ)。
やはり水琴窟は見るのではなく、
「やってみるもの」。
妻もその水の音色に
癒やされていたはず(笑)
土橋跡の案内。
元土橋を渡ります。
橋からは空堀がしっかり見え、
戦国気分も湧き上がってきますね。
櫓台の案内。
登っていくと右手には神社、
正面には石碑が見えています。
「表忠義」碑。
案内によれば、
「題字、「忠義を表す」は
徳川最後の将軍、慶喜の書で、
小牧・長久手の戦いの際、
岩崎城が徳川方の城として戦い、
全員討死したことを家康に対する
忠義の表れという意味で
使用したものと思われます」
このように書かれています。
井戸跡。
井戸跡の案内。
隅櫓跡。
岩崎城で唯一礎石を有した建物と
説明されています。
「丹羽勘助・古城之址」
また、このすぐ近くにあるのが古墳です。
岩崎城古墳の案内。
こちらが復元された横穴式石室。
岩崎城歴史記念館
本丸跡に位置する
小さいながらも
内容が凝縮された
素晴らしい記念館です。
入口。
エントランス。
冒頭に書いた「丹羽氏次」が
キャラクターのようですね。
こちらは岩崎城を守って
討死し、池田恒興を足止めさせた
功労者、丹羽氏重の像。
写真撮影はここまでがOKで、
展示室内はNG。
パンフレットも充実し、分かりやすく、
館内にはよく出来たジオラマなど、
無料では申し訳ないほどの
素晴らしい記念館でした。
館内の散策を終え、外に出ると
雨が止んで青空が見えています!
この後行く、模擬天守風の建物、
「展望塔岩崎城」はこの空の下で、
大いに楽しめそうですね!
(後編に続く)