伊都国歴史博物館(福岡県糸島市)(5)

 

巨大な鏡

伊都国歴史博物館のパンフレットは、

豪華B2サイズの八つ折りです。

表紙はB5サイズ。

裏表紙には、

伊都国歴史博物館の「イチオシ」、

平原弥生古墳(平原王墓)の

画像が使われ、

さらに裏面にしてB2サイズまで

広げると・・・

国宝・大型内行花文鏡(八咫鏡)の

実物大写真となっています。

発掘された鏡では国内最大の

直径46.5cmですから

やはりB2サイズが必要なんですね!

比較したボールペンの長さは14cm、

いかに巨大な鏡かがわかります。

古墳にあまり興味はないものの、

こんな巨大な鏡の写真を見ると、

やはり気分は高揚してきます!

常設展

企画展「伊都国王誕生」を

思い切り堪能した後は、

常設展の見学です。

エスカレーターにて2階へ。

エスカレーターを降りると、

糸島の海と弥生人の船が待っています。

入口。

ウェルカムボード的案内。

書き出すと以下になります。

「「魏志倭人伝に登場する国。

かつてこの地に実在した。

そして、扉の向こうに

今 よみがえるーー伊都国。」

「「伊都国」の名は中国の歴史書

「魏志倭人伝」に登場します。

その伊都国は約1800年前に、

ここ糸島に存在した古代の国です。

この地域から発見された、

多くの重要な遺構が、

それを証明しています。

「魏志倭人伝」には、

伊都国に代々の王がおり、

日本の外交の窓口であった、

と記されています。

この記述が、

遺跡の内容や出土品と

まさに一致することが

糸島の最大の特徴です。

伊都国がどのような国であったのか、

その当時の人々のくらしが

どのようであったのかを

ご紹介しましょう。」

三国志に出てくる、

三国、「魏・呉・蜀」の中で、

曹操そうそう」が建国した「魏」は、

わずか45年しか続かなかったのに

その短い間の中で、

「魏志倭人伝」を残してくれて

ホントにヨカッタ~

って気持ちになりますね(笑)

「記録された伊都国」

「「イト」は、3世紀の中国の歴史書

「魏志倭人伝」の中に

「伊都國」として登場します。

奈良時代の

「古事記」・「日本書紀」の中では

「伊都(覩)」と書かれています。

そして筑前風土記以降、

「怡土」→「絲」→「糸」へと

移って行きますが、

「イト」のよび名は、

弥生時代から現代まで

脈々と生き続けています。」

平原古墳

ここには、

平原王墓の実物大復元を中心に

多数の国宝となった鏡が展示されています。

発掘時の平原王墓。

案内。

「縮尺:1/1」

要するに「実物大」ですね(笑)

現在の平原王墓。

斜めから撮影。

「平原王墓ー発見から今日まで」

「平原王墓は

昭和40(1965)年に発見され、

原田大六氏、大神邦博氏を中心に

発掘調査が行われました。

遺跡の中心となる1号墓は

周りに溝を巡らす墳丘墓で、

棺は長さ3mの割竹形木棺です。

棺の内外からはガラス製玉類、

素環頭大刀、

40面の割れた銅鏡が見つかりました。

遺跡は昭和57(1982)年に

国史跡の指定を受け、

出土品は平成18(2006)年、

国宝に指定されました。」

多数の銅鏡。

ぜ~んぶ国宝です。

「よみがえった銅鏡」

こんな体験型施設は楽しいですね!

妻もやってみました・・・

「鏡よ!鏡!世界で一番美しい人は誰?」

弥生人もこんな事言ってたのか?(笑)

こちらの5枚が冒頭に書いた、

直径46.5cmの巨大な鏡です。

冒頭に紹介した

パンフレットの説明を要約すると

以下になります。

「(平原王墓発掘の中心人物)、

原田大六は、

この直径46.5cmの大鏡は、

天皇家に伝わる三種の神器のひとつ、

「八咫の鏡」の同型鏡と考えました。

伊勢神宮の記録書「御鎮座伝記」には、

その形態が

「八頭花崎八葉形也」と記されており、

「八頭花文の先に八葉がある形なり」と

読めます。

平原出土の内行(八)花文八葉鏡は、

中心にある八つの花の先端に

周囲の八花文の先が付いており、

御鎮座伝記の記録と一致します。

大きさについても、

平安時代に記された古代法典「延喜式」に、

伊勢神宮の八咫の鏡を収める箱の内径は

約49センチと記されており、

46.5センチの鏡を収納するのに

ちょうど合う寸法です。

さらに鏡の名称である「八咫(やた)」の

「咫(た・あた・し」とは、

当時の中国の尺で

女性の手の大きさに相当し、

約18.4センチ。

平原内行花文八葉鏡の周囲は

約146センチなのでほぼ八つ分。

まさに「八咫」に相当する寸法となります。

このように八咫の鏡に関する記録と

出土品の特徴が一致することから、

原田大六は平原弥生遺跡の

内行花文八葉鏡と

伊勢神宮にある皇室所有の八咫の鏡とは、

同形の鋳型から作られた

同一の鏡であるとしました。」

そんな意味があったのか、「咫」(笑)

「咫」=「女性の手の大きさ」、

かなりアバウトな尺ですが、

ちょっと素敵な尺でもあります。

国宝「内行花文鏡」の複製と雲台。

案内を書き出すと以下になります。

「国宝「内行花文鏡」複製鏡の

寄贈にいたる経緯

複製鏡を製作されたのは

上田合金株式会社(東大阪市)の

上田富雄社長ですが、

残念ながら2015(平成27)年に

お亡くなりになられました。

1996(平成8)に

島根県雲南市加茂町の

加茂岩倉遺跡出土の銅鐸を

ご覧になられた上田社長は、

弥生時代の鋳造技術の高さに驚かれ、

その再現を強く望まれました。

試行錯誤の結果、翌年、

みごとに銅鐸の複製品を製作されました。

その後も著名な青銅製出土品の

複製に取り組まれており、

それらを数多くの神社、大学、

博物館等に寄贈されております。

なお「河内鋳物師」の

伝統を受け継ぐ高い鋳造技術は、

2002(平成14)年の

大阪府最優秀技能賞

「なにわの名工」の受賞をはじめとし、

多くの賞を受けられております。

上田社長が製作された複製品の中でも

最高傑作のひとつとされるのが、

国宝「内行花文鏡」の複製鏡です。

このたび上田社長のご遺志を受け、

ご遺族である上田恵美様から

複製鏡をご寄贈いただきました。

また、西本熔工所(大阪市)

社長西本十三次様により

鏡を収める雲台が製作され、

吉田着色(大阪市)

社長吉田忠司様により

美しい着色が施され、

合わせてご寄贈いただきました。

平成30年6月」

心に染みる経緯ですね・・・

全くの偶然ですが、

鏡が寄贈された平成30年6月に、

僕たちは、島根の旅をして、

上田社長と同じく、

島根県立古代出雲歴史博物館で、

加茂岩倉遺跡出土の多数の銅鐸に

感動したのです。

寄贈された同じ時期に旅していたとは、

ちょっとビックリで、

勝手に親近感を抱いてしまいます(笑)

そして、こちらが

加茂岩倉遺跡出土の銅鐸です。

出土した銅鐸39個が国宝となっています。

これを見た上田社長の感動を元に、

匠の技で、銅鏡がこんな形として

蘇った姿を見られるとは、

感慨深いものがありますね・・・

文様の再現も完璧!

改めて、

「世界で一番美しい人は誰?」

間違いなく、あなたですよ!

「やった~!」(ピース)(笑)

(続く)

 

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