十兵衛屋敷跡(滋賀県多賀町)

 

妻情報

僕が、十兵衛屋敷跡の存在を知ったのは、

妻の一声からでした。

スマホを持たずパソコンもやらない妻は、

典型的なアナログ人間で、

情報の仕入先はテレビのみ。

逆にテレビをあまり見ない僕にとって、

妻からの情報源は大変貴重で、

今回訪問出来たのもそんな

「アナログ妻情報」のお陰です(笑)

マンホール蓋地図

十兵衛屋敷跡がある場所を

的確に表した地図がこちらです。

マンホール蓋のデザインが、

地図になっている

ちょっと珍しいもので、

ちゃんと「佐目」と書かれています。

ドラマの影響も大きいのでしょうが、

駐車場も整備されていたので、

ひと安心。

傍で見つけたお地蔵様にご挨拶。

十二相神社の参道が

十兵衛屋敷跡へのルートです。

こんなものを見ると、

テンション上がって来ますね(笑)

十兵衛屋敷跡に到着。

「明智光秀公 口伝の地

十兵衛屋敷跡」。

佐目における

十兵衛屋敷跡の存在が書かれた、

「近江温故録」

(おうみおんころく)の案内。

古文と現代文を併記して、

実に分かりやすい解説です。

この近江温故録と、佐目に住む

「見津」(けんつ)一族の口伝によって、

ここが明智光秀の出身地の一つとして

クローズアップされ、

さらに大河ドラマで火が付いたのでしょう。

十兵衛茶屋。

右から二番目が、

歴史学者、磯田道史先生のもので、

多賀大社の御祭神である、

イザナギノミコトが桃を投げて

黄泉の国の化け物を

退散させた古事記の記述から

作られた詩のようです。

そして一つ飛ばして一番左側には、

「本能寺の黙示録」という本を書いた

明智光秀14代目子孫、

三宅由珠さんの色紙があります。

これを見ただけでも

来て良かったかな?(笑)

新聞掲載の紹介。

山城との関係など。

「2020年大河ドラマ決定!で

バタバタ浮上」

「6番目だけどね」

「ヨッ!棚からぼた餅」

何とも自虐的なコピーに

思わず笑ってしまいます。

併設のオープンテラス。

ツーショットで〆。

イベント案内

この界隈、思った以上に

イベントに力を入れられています。

「光の道」

たまたまですが、ライトアップは、

このブログを書いている今日、

11月8日からですね!

なんだかご縁を感じますよ(笑)

11月23日スタートの

「琵琶湖一周のろし駅伝」、

これもかなり面白そうですよ!

ちょっと調べて見ると、

琵琶湖の周りに配置された

多くのお城を「のろし」で繋ぐイベントで、

今回は、佐目陣屋(ここの事)を

午前10時スタート、

石田三成の居城だった

最終の佐和山城は、

2時間半後になっています。

この中には小谷城、長浜城も入っていて、

改めて滋賀県(近江)が

戦国の中心的存在なのがよく分かります。

本日の余談

十兵衛茶屋で見学していると、

「佐目十兵衛会」の方が

声をかけてくれて、

少し・・いや結構話しました。

この屋敷跡は藪だったものを

バタバタ整地したそうです(笑)

そして、

佐目十兵衛会の建物の前では、

「見津」(けんつ)の表札を発見。

口伝の地を肌で感じられる名前に

大喜びした僕たちでした(笑)

 

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