2019/09/04

鹿児島城(鹿児島市)

 

時代を読む力

戦国期のお城は、戦いの城であり、

また為政者の権威を見せつける城でした。

しかし、関ヶ原の戦いで、

徳川の天下が決まった後は、

お城の機能として、

戦う体勢も、権威の象徴としての建物も

戦国時代のようには、

重要ではなくなりました。

しかし、

関ヶ原の戦い後、徳川家康が、

天下普請として、

全国の大名のお金と人を使わせ、

各地に築かせたお城の多くは、

戦国時代の名残ある

「戦いの城」「権威の象徴」

であったのです。

超巨大な江戸城は言うまでもなく、

名古屋城なども、

巨大な権威の象徴みたいな

お城になっています。

まあ、これは

「大名に金を使わせ

経済的に疲弊させる作戦」なのと、

それに加え、大阪の豊臣氏と

豊臣恩顧の大名たちに

睨みをきかす目的があったので、

当然かも知れませんが、

その他、江戸時代に作られた

各地の大名のお城も同じように

大天守がそびえたり、広大な城域だったり

戦いと権威は引き継がれていました。

ところが、そんな城などは

目もくれず、超実務的な城を作ったのは、

初代薩摩藩主、

島津忠恒(しまづ ただつね)でした。

(後に島津家久と改名)

その島津忠恒のお父さんは、

島津義弘(よしひろ)で、

秀吉の朝鮮出兵では、わずかな人数で、

数万の明軍を打ち破ったり、

関ヶ原で負けたのにも関わらず、

わずかな手勢で、徳川家康の本陣前を

堂々と横切り敵を蹴散らかし、

無事鹿児島までたどり着くなど

武勇伝には事欠かない人です。

親子ともども偉かったんですね(笑)

鹿児島城へ

鹿児島城は通称、鶴丸城とも呼ばれ、

僕たちが訪問した時にも

大手門の前にはこんな石碑がありました。

「史跡 鶴丸城跡」

鹿児島の人には

こちらの名前の方が親近感が

あるのかもしれません。

今、工事中なのですが、

見学は出来るので、良かったです。

お城の縄張図として見ても

分かり易い案内板です。

冒頭で書いたように、

77万石の大名とは思えない、

まるで1万石の小さな藩の館みたいな

鹿児島城なのです。

そんな鉄壁の防御も権威も

全く感じられない理由は、

この案内に書いてありました。

「薩摩は人をもって城となす」

いや〜ここまで思い切った政策をとれるのは、

相当にスゴイ殿様だったのだろう…

そう思って、

Wikipediaで島津忠恒を調べたら、

若い時は蹴鞠や酒食に溺れて、

藩主になってからも部下を相当

殺しているようです(汗)

しかし、政治的な実務が出来たから

謀反の疑いや一旦反旗を翻したものを

容赦せず、藩の安定をもたらしたとも

言えるのです。

しかもあれだけ偉いお父ちゃんがいたら

少々ぐれてしまうのも仕方ないかも(笑)

今の常識で昔の人の行動を計っては、

正当な評価は出来ません。

江戸時代には江戸時代だけの、

平成時代には平成時代だけの

「ベスト」や「ベター」があるのですから。

平成32年に竣工予定で、

御楼門が復元されます。

復元前にも一度来られて良かった!

お堀は一つだけ。

内堀、外堀などの区別無く、

このお堀だけで、しかもその幅は、

10mくらいでしょうか、

めっちゃ狭いのです。

石垣も低くく

忍者でなくとも簡単に

登れそうですね。

お堀を少し散策。

石垣の角を切り落として

内側に入れているのは、

何故なんでしょうか…

まさか登り易くする為?

いやそんなはずは無い!(笑)

※後日追記

これは入隅(いりすみ)と言って、

鬼門(北東の方角)封じのため

角を落としている事がわかりました。

石垣の作りは江戸初期らしく

「切り込み接(は)ぎ」という

方形に整形した石を

密着させる工法です。

この工法の場合、排水が出来ないので、

このように排水口が設けられています。

排水口。

ちょっとお城造りの

蘊蓄を言ってみました(笑)

一通り石垣やお堀を見たあとは、

また正面に戻り、入城します。

擬宝珠。

大手(正面)。

昔はこの正面に御楼門がありました。

明治初期の火災の影響か、

石が爆発したように

膨らんでいる場所もありますね。

二条城で見学ツアーに参加した時、

火災で石は爆発し変形する事を

知ったので、

その知識が生かされました(笑)

正面の石垣には

無数の弾痕が見えます。

正面右側の石垣も

火災の影響か、

一部爆発した跡が見られました。

御楼門の礎石。

今だけですよ!見られるのは(笑)

弾痕跡は西南戦争の時のものでした。

意外と、石垣も頑強ですね。

石垣自体が崩れてはいませんから。

鉄砲の弾がつぶれて

めり込んだままになっています。

140年も前の戦争の跡が

こうして体験出来るとは、

やっぱり来て良かった〜!

一応、枡形虎口になっていて、

「ここまで敵が来るような戦いはしないが、

まあ、少〜し位は防御も考えてはいますよ」

的な感じです(笑)

ここから見ても

弾痕が凄いですね。

大手門を上がって行きます。

本丸に到着。

ここは現在の歴史博物館である

黎明館の入口(庭)となっています。

鹿児島城、超実務的なお城で、

天守無く、小さな櫓さえも無く、

見どころは少ないのですが、

作った殿様の心意気には大いに感心し、

また僕も常にその時代に合わせた

柔軟な頭を持たねばと

大いに教えられました(笑)

今日の癒し

お堀にたくさん咲いていた

蓮(ハス)の花に癒されました。

なんかお釈迦様に

出会ったような気分です(笑)

ところで、

蓮根(レンコン)って

蓮の根と書きますが、

この花の根っこが蓮根なのでしょうか?

ふっとそんな思いもした蓮の花でした(笑)

 

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