鹿児島県歴史資料センター黎明館(鹿児島市)

 

鹿児島城本丸跡

鹿児島県歴史資料センター黎明館は、

鹿児島城の本丸跡地に建設されています。

明治期になり、日本全国のお城は、

様々な運命に分かれました。

基本的には「廃城令」などで、

多くのお城は壊されたり、

売却されたりして、天守や

櫓なども残っていません。

残った所でも陸軍の敷地になったり

戦後は、県庁や県警本部、裁判所など

官庁が建てられたりしています。

鹿児島城の場合、

今は、鹿児島の歴史を綴る

黎明館となっています。

お城や鹿児島の歴史に

まつわる博物館がある事によって、

鹿児島城(跡)にも人が訪問する

きっかけとなっているかも知れません。

黎明館へ

鹿児島城の大手門を上がった場所に

黎明館の石碑があります。

周囲は鋭意工事中なので、

埃だらけです(笑)

左が黎明館のある本丸跡、

右が無料駐車場のある二の丸跡。

江戸時代には、

この本丸と二の丸の間にも

お堀があったそうですが、

鹿児島城のお堀はそれだけです(笑)

入口。

歴代城主の年表。

江戸時代の鹿児島市内の地図。

鹿児島城のお堀が、

青色で塗られているので、

お堀の形がよくわかります。

こちらは再建される御楼門の

建築のスケージュールです。

起工式は来月(2018年9月)なんですね。

やはりここで注目すべきは、

右上の写真です。

〜岐阜県「鹿児島県との

友好の証プロジェクト」ケヤキ贈呈式〜

そして、

〜岐阜県産ケヤキの受領式〜

この二枚です。

岐阜県と鹿児島県の深い繋がりは、

300年前のある悲劇が始まりでした。

Wikipediaを要約すると、

その悲劇とは、「宝暦治水事件」と呼ばれる

1753年、江戸幕府が、薩摩藩に命じた

美濃国(今の岐阜県)を流れる

木曽川、長良川、揖斐(いび)川の

治水事業で起きた出来事です。

過酷な幕府役人の扱いと難工事の結果、

薩摩藩士が51名も自害し、

33名が病死し、

工事完了後に薩摩藩総指揮の家老、

平田靱負(ゆきえ)も切腹自殺しました。

薩摩藩はこの時40万両

(今の価値で300億円相当)

もの大金を借金を重ねて自前で用意したそうです。

工事は一定の成功を収めたようで、

今では、ここに平田靱負を祀った「治水神社」が

薩摩藩士たちの鎮魂と顕彰の意味をこめられ

鎮座しています。

こんな悲劇が岐阜県と、鹿児島県の絆を深め、

今では両県は姉妹県盟約を締結しており

鹿児島城の顔とでもいうべき

御楼門建築への資材提供となったのでしょう。

そして、僕の想像ですが、

この幕府の権力を思い知らされた事件は、

幕末、薩摩藩が幕府を倒した時の

原動力の一つになっていたはずです。

子供達向けの企画もあっていました。

これは中庭です。

その真ん中に木箱が置いてあり

読んでみると

「鹿児島城御楼門建設工事

帯・鋲 暴露実験」

と書いてあります。

な〜るほど〜!

建築前の耐久性試験ですね。

大河ドラマで使われた女乗物。

ホール。

ここから入ります。

何か、タイムスリップする雰囲気。

ここから先は基本「撮影禁止」なので、

展示品の多くは見るだけです。

ここからの写真は「写真OK」と

表示があったものだけになります。

志布志内城のジオラマ。

航空写真と重ねると

その縄張がわかります。

鹿児島には多くの城があったようです。

中世の石塔。

地元の高校生が作った鹿児島城の模型。

館の形が鶴が羽を広げたようだったので、

別名、鶴丸城とも呼ばれているそうですが、

確かに鶴に見えなくもないかも?(笑)

以前はここに鹿児島大学が

あったそうです。

やはりこじんまりした館(城)ですね。

再現された昔の町。

昔の天文館通。

出入り口もひと工夫されています。

砂糖黍(さとうきび)しぼり機。

江戸時代、砂糖黍がとれた

奄美大島などは、琉球から割譲され

薩摩の支配下となり、島民は

かなり過酷な扱いをされたようです。

田の神像。

鹿児島の地場の神。

お祭りの道具。

デオドンの説明。

デオドン。

お祭りの先導役です。

南の島の生活。

案内。

南の島のサンゴ石垣。

撮影が出来たものを

並べてみましたが、

やはり実際に見ないと

分かりませんね(汗)

「不恥」の掛け軸。

「三条実美が前田正名の求めに応じて

書き与えた書。」

と書いてあります。

Wikipediaによると

薩長同盟の密使に加わり、

坂本龍馬から短刀を貰ったという

前田正名は鹿児島出身の偉い人。

三条実美は、政変で京都を追われ

長州に匿われたいわゆる

「七卿落ち」の中の一人で、

明治時代には復権した人。

その二人の間柄は、わかりませんが、

「不恥」と書いたその心は

なんだったのでしょう…

「一旦下野(げや)しても僕みたいに

復権したし、また日の目を見る事もある

だから一時期の失敗などは恥じることも

ないんだよ」

そんな意味だったかも知れません。

最後は西郷(せご)どん

展示品の写真はほとんど撮れませんが、

ここは、鹿児島の歴史が

たくさん詰まった宝庫でした。

今回は時間が無くて、

かなり流してしまいましたが、

また機会を作って行きたい場所です。

そして、最後にこの写真で

黎明館とはお別れです。

現在放映中の大河ドラマ

「西郷(せご)どん」のパネル。

今、旬の鹿児島、行き時ですね!

 

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