鹿児島神社(鹿児島市)
昔の名前で出ています
明治維新により
政府の国家戦略の一つとして、
神と仏は分離され、
神社の多くは神社名が変わりました。
いや、変える事を強要されたというのが
正しいかも知れません。
祇園社、牛頭天王社、大明神など
神仏習合的(仏教的)な名前は廃されて、
現在の名前になっています。
それでも戦後、GHQの神道令により
神社は国家の管理から離れたので、
江戸時代までの名前を再度使ったり、
併用したりしている神社も現れました。
今回参拝した「鹿児島神社」も
そんな昔の名前が出ている(併記)神社で、
やはり本来の名前があると
そのご由緒も理解し易く
オリジナリティを知る事が出来、
いいものだなぁ〜なんて思いました。
正直、僕は最初にネットで
鹿児島神社を見て、
鹿児島神宮と書き間違えたのかと
思うくらいでしたから(汗)
もちろん鹿児島神社と鹿児島神宮は
全くの別物ですので、
改めて強調しておきます(笑)
鹿児島神社へ
鹿児島縣護國神社の近所、
車で2分ほどで、
鹿児島神社の駐車場に到着します。
社殿横の駐車場には
大きなクスがあります。
ここに来た目的は、
もちろん、
この大クスも入っていたので、
まずは木を眺めることに。
見た感じは樹勢もよく
主幹もしっかりして、
若々しいクスです。
案内によると樹齢は600年。
僕が見た感じでも、
500〜600年といった所です。
大きさの比較写真。
大クスの根元にある灯篭。
土台の彫刻が、凝っていて、
なかなか味があります。
灯篭の屋根には阿形の狛犬が乗っています。
推測するに、
昔は、もう一つ、
吽形の狛犬が乗っかった
対になる灯篭もあったのでしょう。
いきなり巨木に癒された僕たちは、
改めて正面から境内に入ります。
社号表には「縣社 鹿児島神社」
と書いてあります。
実際に社格制度は廃止されていますので、
「縣社」は以前の肩書きですが、
ここも昔の名前で出ています(笑)
一の鳥居に向かって進みます。
その神額には何やら
鹿児島神社とかではない文字が…
「宇治瀬大明神」と書いてあります。
こちらが昔の名前ですね。
社殿へ向かう石段。
階段の右脇には無数の
水神、地神の石塔があります。
各地にあったものを
ここに集めて祀っているのでしょうか。
鹿児島名物はここにもありました。
客人(まろうど)社または、随神社です。
向かって左側の社。
手水舎。
五七の桐と菊の紋が入った手水鉢。
そして、
この左横には神社の歴史を物語る
こんなものがあります。
昔の神額。
やはり「宇治瀬大明神」と書かれています。
由緒。
その一部を抜粋します。
『当社の別名を宇治瀬神社と申し上げ、
土地では、「宇治瀬様」を薩摩弁で
「ウッテサァ」と呼んで
親しまれて参りました。
宇治瀬とは、当社鎮座の故地、
錦江湾の神瀬(かんぜ)の小島にかかる瀬の
いと早く渦巻く様とも、
また以前は当社下を流れていたという
甲突川のその早瀬の渦巻く様とも
言われております。』
やはり昔の名前は大切ですね。
鹿児島神社だけでは「ウッテサァ」に
結びつきませんから(笑)
拝殿にて参拝。
拝殿の神額も「ウッテサァ」です!
そして、御朱印も…
「ウッテサァ」がメイン(笑)
素晴らしい御朱印を授与していただき
本当に感謝です。
この後は境内を散策。
拝殿の横に置いてあるお面。
お祭りで使うものなのかな?
本年右横の境内地には、
社号表と鳥居の残骸が…
きっとあの鳥居の神額が、
手水舎の横に置かれていたものでしょう。
田の神。
素朴で、優しいお顔の神様。
黎明館で見たものと
やはり似ています。
蛇を祀った境内社。
天保八年建立の灯篭。
こちらも同じ年ですね。
最後にツーショットで参拝は完了。
「ウッテサァ」、
巨木も、境内社も、なんだか
ほっこりする素敵な神社でした。