開聞岳(鹿児島県指宿市)

 

思い出の山

薩摩富士と称される

海からそびえ立つ

美しい山、開聞岳。

そんな開聞岳は僕にとって、

一生忘れられない

屈辱の思い出の場所でもあります。

高校二年の夏休み、

友人と二人で開聞岳に

登ったのです。

山登りが大好きで、

スレンダーで健脚な友人と

山登りに全く興味がなく、

ファットマンで、

足にも贅肉しかない僕。

最初から結果は見えていたのかも

知れません。

一日に数本と極端に本数が少ない

ローカル列車の発車時刻に合わせて

開聞岳の頂上まで行き、そしてまた

開聞岳の麓の駅まで戻るのが

絶対条件の登山は

それは山を走って駆け上がるような

「超高速登山」でした…

当然の如く僕は途中で挫折。

友人は走って(笑)頂上まで行き、

開聞岳を制覇したのです。

この時の思い出は、

今でも消えませんし、

時々僕の脳裏をかすめます…

しかし、今回は

「見るだけ」(笑)

何も怖がることもないのです。

開聞岳を望む

枚聞神社からは、

今回の鹿児島旅行の

大きな目的である

知覧特攻平和会館へ向かいます。

その途中、海岸線にはいくつか

開聞岳を眺めるスポットがあり、

最初に目についた所で車を降りてみました。

僕たちが開聞岳を眺めた場所に

設置されていた案内図。

ここよりも眺望が良さそうな場所は

いくつかありますが、

なんせ超高速旅の僕たちは、

ここからの景色のみを堪能。

山裾が海岸線という、

何とも秀麗な開聞岳。

今はこんな美しさに

ただ感動さえしていればいい

平和な日本ですが、

わずか70年ほど前、

これから訪問する知覧はじめ

鹿児島の基地から出撃した

特攻隊員たちは、

飛行場を飛び立つとまずは、

みなこの開聞岳上空に進路をとり

この山を見て、それぞれの

故郷に別れを告げ、

ここから沖縄へ死出の旅へと

向かったのです…

そんな特攻隊員のことを考え

撮影していたら、

偶然にもこの写真には赤トンボが

写っているではありませんか!

まるで、開聞岳を見下ろし

故郷に別れを告げる

特攻機のような構図です。

実は、特攻隊員たちが、

飛行教育を受けたのは、

九十三式中間練習機という

翼が赤く塗られた飛行機で、

その愛称は、「赤トンボ」なのです。

開聞岳と赤トンボ、

国を守るために命を捧げられた

特攻隊員たちの、

「僕たちのこと覚えていてね、

僕たちは今もここから

みんなを守っているよ…」

そんな言葉が聞こえてきそうでした。

開聞岳と海と赤トンボ、

とても印象に残った構図、

驚くべきことに

この後、知覧で僕たちは

同じ構図の絵を見る事になろうとは

この時はまだ知る由もありません..

そして、海岸から開聞岳を

動画も撮影しました。

今の平和は過去の

悲惨な歴史があってのもの

これから知覧に向かう僕たちを

こんな形で特攻隊員達が、

歓迎してくれたのかも知れません。

この日は8月6日、広島に

原爆が落とされた日でした。

そんな過去の惨禍は嘘のように

ここは波と風の音しか聞こえない

静かな場所です。

真夏なのにススキの穂が秋を感じさせる

開聞岳の風景を見ながら

色んな思いがこみ上げてくる僕でした…

そして、この旅で知った

島津斉興(しまづ なりおき)が残した

偉大なる功績、三国名勝図会にも

僕たちが見たのと同じような

風景が掲載されていました。

お〜なかなか同じっぽい(笑)

知覧から見たこの辺りの海岸と開聞岳。

これから約100年後、

知覧から飛び立った特攻隊員が

目指した開聞岳の風景も

きっと同じなんでしょう…

最後にツーショットで〆。

開聞岳を見て

特攻隊員に思いを馳せる人が

いったいどのくらい

いるのでしょうか?

僕は美しい景色の向こうに

戦争の事を思い出す

特技があるのかも知れません。

そして、大きな疑問…

開聞岳、僕が登頂に成功する日は

来るのでしょうか?(笑)

 

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