2019/03/02

常夜燈(2019年福山の旅)

 

江戸時代の港湾5点セット

観光ポスターなどには必ず出てくる

鞆の浦のシンボル、常夜燈は、

江戸時代末期、

安政6年(1859年)に

建造されています。

また、ここ鞆の浦には、

航海の安全を守る常夜燈の他、

潮の干満に関わらず

船着出来る石階段の雁木(がんぎ)、

波を防ぎ船を繋ぐ波止場(大波止)、

今で言うドックにあたる焚場(たでば)、

通行する船を監視、検査する船番所、

合わせて5点の江戸時代の遺構が、

全てが残っていて、他に類を見ない、

貴重な港町となっています。

焚場跡

淀媛神社から海沿いを歩いて

常夜燈へ向かう途中、

出てくるのが、この看板です。

焚場跡入り口の案内。

仁丹のロゴの方が目立つかも(笑)

ちなみにこの将軍のようなロゴ、

軍人ではなく外交官を

イメージしたそうです。(Wikipedia調べ)

狭い路地を海に向かって行くと・・・

海の中に何やら石がゴロゴロ・・・

満潮時なので、

焚場はこの海の中にあるようです。

木造船の底に付いた

フジツボや海藻などを焼き払い、

乾燥させ船命を長らえる事を

「焚る(たでる)」と言うことから

ここを焚場と呼んだようで、

このあたりの地名も

「焚場町」となっています。

ここからの景色もいいものです。

・・・どこかで見たような・

そうです、宮崎駿監督の

お気に入りだった村上製パン所の

あの写真です。

焚場跡と村上製パン所はすぐ近くなので、

同じような風景が見えるのですね!

焚場から少し行くと神社があります。

名前も神様も分かりませんが、

地元の氏神様でしょうから

参拝は欠かせません。

渡守神社御旅所

氏神様から少し行くと、

渡守神社御旅所があります。

Wikipediaによると、

御旅所とは、

神社の祭礼(神幸祭)において

神(一般には神体を乗せた神輿)が

巡行の途中で

休憩または宿泊する場所、

或いは神幸の目的地をさす

と書かれています。

御旅所はその氏子や神社にとって

重要な場所が選ばれるそうです。

案内を読むと、神功皇后の故事と

綿津見大神が上陸された地である事で

ここが御旅所になっているようです。

常夜燈

御旅所からほどなくして

常夜燈に到着です。

右側の白壁の建物は、

いろは丸展示館です。

実は常夜燈の見学前に入りましたが、

同じ江戸時代の港湾5セットである

焚場跡からの話の流れ上、

こちらを先に書いています。

雁木。

確かに満潮、干潮にかかわらず、

船が付けられる優れたもので、

現代では観光客が腰を下ろして

海を眺め、佇む場所としても

活躍しています(笑)

常夜燈の周囲全景。

(対岸から撮影)

常夜燈付近は、

観光客の撮影スポットです。

扁額には「金毘羅大権現」と

書かれています。

海を守る神様、金毘羅様ですね。

写真は撮っていませんが、

ちなみにこの反対側(海側)にも

扁額があり、そこには、

「當所祇園宮」と書かれています。

僕の想像ですが、

これは別名「鞆祇園宮」と呼ばれ、

「ぎおんさま」と親しまれている

沼名前神社の事を

指しているのではないかと思います。

要するに「ここには祇園宮がありますよ」

そんな意味で、

掲げられたのかも知れませんね。

やはり花崗岩の赤みを帯びた茶色は、

優しさと温かみがあって、心和みます。

石垣も全部おさめた写真。

土台(石垣)も含めれば、

日本最大規模のものだそうで、

正面よりもこちらから見た方が、

その大きさがよく分かりますね。

そして・・・

 

暗くなってからが常夜燈の真骨頂?

僕たちは鞆の浦の旅の最後にも

また常夜燈を訪問したので、

その話はまた後日。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください