上立神岩(兵庫県・沼島)

 

天の御柱あめのみはしら

沼島ぬしまの東海岸にある上立神岩かみたてがみいわの存在は、

次のような神話と繋がっています。

以下、神社本庁のサイトから引用です

「遠い昔、日本の国ができる前のことです。

澄み渡った高い空の上に、

高天原たかまのはらという神々の

お住まいになっているところがありました。

ある時、神々は下界に新しい国を

造ることをご相談になられました。

そこで伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみこと

二柱の神さまに国作りを命じられ、

天の沼矛あめのぬぼこという矛を授けられました。

二柱の神さまが、

天の浮橋あめのうきはしという大きな橋の上に立ち、

下界の様子を眺めてみますと、

国はまだ水に浮いた

油のように漂っていました。

さっそく二柱の神さまは、

神々より授けられた矛を

海水の中にさし降ろすと、

海水を力いっぱい掻き回し始めました。

しばらくして矛を引き上げてみると、

どうでしょう、矛の先より滴り落ちる潮が、

みるまにも積もり重なって

於能凝呂島おのごろじまという島ができあがりました。

そして二柱の神さまは

その島に降りたつと、

天の御柱あめのみはしらという大変大きな柱をたて、

柱の回りを伊邪那岐命は左から、

伊邪那美命は右から、

それぞれ柱を廻りあいました。

そして出会ったところで

「ああなんと、りっぱな男性だこと」、

「ああなんと、美しい女性だろう」と呼び合い、

二人で多くの島々を生みました。

はじめに淡路島、つぎに四国、隠岐島、

九州、壱岐島、対島、佐渡島を

つぎつぎと生み、

最後に本州を生みました。

八つの島が生まれたところから、

これらの島々を大八島国と

よぶようになりました。

これが日本の国土のはじまりです。」

ここに出てくる中で、

於能凝呂島おのごろじまという島=沼島

天の御柱あめのみはしらという大変大きな柱=上立神岩

このように伝えられています。

信じるか信じないかは、

あなた次第・・・(笑)

上立神岩へ

梶原五輪塔から

さらに東に歩き、

上立神岩を目指します。

小さな島ですが、

こんな大きな池もあります。

沼島小学校・中学校を通過。

上立神岩からの帰りがけ、

ここで中学生の集団とすれ違った時、

みんなの挨拶が元気で清々しく、

沼島っていいな~と

改めて感じたものです。

おのころ公園を通過。

分岐は左へ。

ここで、

怖~い案内を発見(汗)

「猪出没注意!!」

どうやって注意すればいいのかな?

ここを登りきると海はすぐそこです。

東屋あずまや的な展望所。

ここから海岸へ下り、

上立神岩を目指します。

海が綺麗だ~!

「上立神岩」の案内。

内容を書き出すと、

「矛先のような形をした

沼島のシンボルのような岩です。

高さ三十mで国生み神話の

「天の御柱」とも言われております。

主として、緑泥片岩からなる

巨岩で海鵜うみうの休息場となっています。

和漢三才図会わかんさんさいずえでは、

竜宮城伝説の表門とも云われ、

国生み神話の舞台となっています。」

※和漢三才図会は、

1712年(正徳2年)

頃出版された日本の百科事典である。

いわば絵入りの百科事典とでもいうもので、

項目ごとに異なった執筆者により

記事が執筆されている。」

このようになります。

お~先っぽが見えた!

折り返して海岸近くへ。

この下が展望所。

お~見えたぞ~!

天の御柱の後光のような

猛烈な逆光の中、

大岩の上空に、

一羽のカモメが飛んで来て、

僕たちを歓迎してくれています。

(何でも前向きに解釈する癖あり)

さらにズーム。

周辺の海とともに動画でも撮影。

ここでツーショット完了。

なんか僕の顔がデカすぎ(笑)

展望台

近くから見た上立神岩に感動した後、

先程の東屋的な展望所よりも

さらに上の展望所へと登ってみました。

展望所到着。

上立神岩を俯瞰。

改めて、上立神岩に一礼。

ここからは、次の目的地、

おのころ神社へ。

 

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