金ヶ崎城(敦賀市)尊良親王自刃の地

 

ハイキング気分

山城と言えば「登山」のイメージですが、

ここ金ヶ崎城は大丈夫(笑)

車でもバスでも市内中心部から

そんなに時間もかからず、

尾根続きの天筒山城まで

行かないのであれば、

ハイキング気分でも攻城は可能で、

僕たちにとっては、

実に有難〜いお城なのです(笑)

金ヶ崎城 模型

金崎宮の拝殿横には、

神社境内としては、

珍しいものが安置されています。

地元の高校生が作った、

金ヶ崎城の模型です。

これは素晴らしい!

三方を海に囲まれた

天然の要害であり、

金ヶ崎城及び、

天筒山城へと続く尾根が

堀切によって寸断されていたことが

一目瞭然ですね。

天筒山城南側から攻めるのも

結構大変そうですが、

大軍で押し寄せた信長さんは、

あっという間に

落城(降伏開城)させています・・・

花換の小道

金崎宮本殿横から

金ヶ崎城の散策路へ。

「史跡 金ヶ崎城」の標柱。

お城の散策路(ハイキングコース)は、

金崎宮の「花換祭」にちなんで、

「花換の小道」と名付けられています。

この「花換祭」、

神社の「案内記」には、

次のように書かれています。

「四月の桜開花期の約十日間、

延元の昔を偲び親王や将士を

お慰め申し上げるお祭りで、

神社で授与される

「桜の小枝」を交換すると福を招き、

良き縁に恵まれるといわれている。」

YouTubeで令和5年と7年の

花換祭を見ましたが、

凄い盛況ぶりで、

なんと言っても、

御朱印を書いてくださった宮司さんが、

自らが司会をされて、

参加者の皆様を楽しく

おもてなしされている姿には、

深い感銘を受けました!

さらに

令和5年には、

ウエディングドレスデザイナーの

桂由美さんが参加した

ブライダルショーまで

開かれているのですよ!

拝殿(舞殿)でトークされている

桂由美さんの背後には

桜が舞い散っていました・・・

花換祭に参加された1年後、

桂由美さんは94歳で、

他界されています・・・

金崎宮の桜の花に見送られての

華やかな人生のエンディング

だったのでしょうか・・・

敦賀市街地と

金ヶ崎の退き口の案内。

この辺りからは、

北陸新幹線の終着駅、

敦賀駅が見えてます。

海も見える花換の小道、

実に癒されますな〜!

尊良親王御墓所見込地

程なくして右側に

墓所見込地への階段があります。

細い道ですが、

案内があるので迷う事はありません。

途中見える平坦地は、

曲輪だったところかも知れません。

さらに登り・・

もうすぐ到着。

まずはお参り・・

石碑の建立は明治九年十月。

金崎宮社殿竣工の17年前になります。

「尊良親王御墓所見込地」

案内を書き出すと

以下になります。

「安政年間(江戸時代末期)

この地付近より経塚が発見され

石室からいずれも銅製の経筒、円鏡、椀

(三点とも敦賀市指定文化財・金崎宮所蔵)

が出土した。

当時は殆ど話題にならず、

遺物は埋め戻されたという。

明治維新後、建武中興に関する史実の

全国的な見直しが行われ、

湊川神社、鎌倉宮、藤島神社などが

創建された。

当地においても、

金ヶ崎合戦より五百五十余年を経た

明治二十三年、

金崎宮が官幣中社に列せられ、

同二十六年に社殿が竣工、

鎮座祭が斎行されたが、

それに先立つ同九年、経塚出土品から

この地を尊良親王御墓所と解し

「墓所見込地」の碑が建てられた。

しかし、他に立証する史料に乏しく、

また京都市内に同親王の御墓所が

指定されていることもあって、

現在では親王御台臨、

自刃の地として大切に保存されている。」

これを読んで、

改めて見込地を一回り・・・

妻が「なんとなく

ここで自刃されている気がする・・」

こんなことを言ったとき、

ふっと墓石(石碑)の傍で、

妻が見つけたのがこちらです・・・

墓石に寄り添うよに

小さな葉っぱが見えています。

尊良親王の魂が、

この葉っぱを依代にして、

ここに来てくれたのでしょうか・・

(続く)

 

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