寛永寺・開山堂(東京都上野公園)
元三大師との再会
昨年(令和5年)12月、
比叡山延暦寺の横川において、
延暦寺中興の祖、元三大師のお墓に参拝、
翌日は、
同じ天台宗の寺院、観音正寺にて
元三大師の魔除け(角大師護符)を
授与いただきました。
以来、僕たちの家の玄関で睨みを
きかせていただいております(笑)
図らずもそんな元三大師と再会したのが、
寛永寺開山堂です。
ここでは、
徳川家康のブレーンとして大活躍した
寛永寺の開祖、天海僧正とともに
「両大師」として祀られています。
山門
参拝前、
敷地外からちょっとだけ
寛永寺旧本坊表門を見学し、
開山堂へ。
寺頭。
「両大師」の立札。
山門。
両脇の塀には、
いくつかの案内が貼ってあります。
存在感抜群なのは、
やはり元三大師さんの厄除けです。
「両大師略縁起」
この額には「慈恵大師少史」として、
元三大師さんの
いわれが案内されています。
超簡単に要約すると
「平安時代、西暦912年に生まれ、
比叡山中興の祖として活躍。
宮中に参内して密教の霊験をしばしば
あらわされた。
その後江戸時代、天海大僧正が、
三代将軍家光公の世嗣安産を
祈願するにあたり
慈恵大師(元三大師)御影像を
寛永寺に祀って大師の霊験を
祈祷したところ
のちに四代将軍となった
家綱公が誕生した。
それにより、
将軍家の信仰を得たばかりでなく
江戸市民も子授け大師と呼び
信仰するようになった。」
このようになります。
疫病退散から子授けまで、
めっちゃ守備範囲が広い
元三大師さん、流石ですね!
こちらは慈眼大師天海さん。
超訳すると以下になります。
「寛永寺開山、
東叡・日光両輪王寺の開基である。
元和二年(1616)家康公の葬儀で
導師を勤め、翌三年、
家康公に山王一実神道による
東照大権現の神号を賜り
日光に東照宮を建て奉祀した。
寛永二十年(1643)
108歳で遷化された。
生前「われなきあとは
慈恵大師の御影と共に
天下をまもり万人に利益を授けん」
と語られた因縁により
慈恵大師を併せておまつりする。」
正面には本堂がありますが、
ちょっと道草を・・
お地蔵様。
宝篋印塔。
阿弥陀堂。
やはり幟に目が入ってしまいます(笑)
元三大師さんが、
人々と疫病から救おうと
全身全霊で祈った結果、
このような夜叉のような
お姿になったというのが、
角大師護符のいわれですが、
何度見ても、迫力あって、
ご利益めっちゃありそうですね!
左から地蔵菩薩、
阿弥陀如来、虚空蔵菩薩。
参拝を完了し再び参道へ。
参道脇に安置された、
天保七年(1836)奉納の手水鉢。
今川氏の家紋に似た紋が
あしらわれていますが、
何か関連があるのかな?
次に現役の手水鉢へ。
これは清らか!!
波紋の広がりに癒されるな〜
台座は狛犬に支えられ、
向かって右端には鶴の頭が
あしらわれています。
左側も同じですね。
参拝へ。
本堂前の天水桶。
この寺紋気になります(笑)
鰐口にも寺紋が
あしらわれています。
参拝後、本堂前にてツーショット。
ここからは、
いよいよお目当ての
寛永寺旧本坊表門へと向かいます。