春日神社(長崎県平戸市)
神様からのお土産
神社に参拝すると
思わぬ副産物というか、
「神様からのお土産」をいただけます。
例え、お賽銭が10円であっても(笑)
地元の歴史や地理と
関係深い神社というものは、
未知の「もの」や「こと」を体験し、
人生を豊かにする
手掛かりみたいなもので、
今回の春日神社さんからも
10円では申し訳ないほど(笑)
両手いっぱいに
お土産をいただいております。
鎮座地
春日神社が鎮座するのは、
平戸市の西端に位置し、
潜伏キリシタン遺産に指定された
春日集落の海岸沿いです。
標高530mの安満岳山頂付近、
白山比賣神社の断崖上から見た、
春日集落(黄色の丸で囲んだ所)。
そして、
向こう側に見えるのが、
生月(いきつき)島です。
ズームして撮影した春日集落と
春日神社(黄色の矢印)。
春日集落は棚田でも有名なようですが、
今回の主目的はあくまでも神社。
棚田には目もくれず(笑)
一気に海岸まで走ります。
神社近くに到着し、
海岸を背にして駐車。
ここからは棚田も見えていますね。
海参道
陸地からの横参道もあるのですが、
せっかくなので、
「海参道」をチョイス。
清々しい!!
2月というのに、ポカポカ陽気で、
上着を脱いでしまいました(笑)
たまたまですが、
御社殿正面に続くような
潮の引き加減になっていて、
それプラス、
波打ち際の海水で
色が濃くなっている部分が、
境内に続く本参道に見えてしまうから
なおさら神聖な気持ちになれます。
波の音が心地よいBGMとなり、
参拝に向かう僕達のテンションも
上がりまくりですよ!
さらに進みます。
ここからは「ロッククライミング・参道」。
なんか、山口百恵の
「ロックンロール・ウィドウ」を
彷彿とさせる語呂だな~(笑)
ロッククライミング・妻(笑)
背景には先程まで僕達がいた
安満岳の崖がかすかに見えています。
ここからは石段。
白山比賣神社と同じく
肥前鳥居です。
江戸時代、
長崎県の多くの地域は肥前国で、
ここ平戸市を領した
平戸藩も肥前国の一部ですから
肥前鳥居があるのも頷けます。
神額。
春日神社の「日」の字が、
お洒落ですね!
貫部分は妻の身長より低く、
必然的にお辞儀をして
くぐる形になります。
海岸という過酷な環境で、
石の風化もかなり進んでいますが、
それでも大切にされ、
今もここに立ち続けているのは、
ホントに有り難い限りです。
御社殿
拝殿内へ。
参拝。
神紋は奈良県の春日大社と同じ、
下がり藤なので、
やはり春日大社を勧請したのでしょうか?
また、春日集落という名前は、
春日神社から来たのかも知れません。
そして、
参拝後出入り口に向かった時、
大きな「矢」を指して、
妻が雄叫びを(笑)
「これ、前にも見たね!!」
確かに見てます(笑)
最近では、
小野田市の別府八幡宮など
幾つかの神社にありました。
きっと縁起物なのでしょうが、
何という名前なのか、
正確な用途などはわからず、
頭がモヤモヤしています(笑)
御社殿外観。
拝殿左から本殿へ。
本殿に参拝。
境内社
まずは本殿左側に並ぶ境内社へ。
参拝。
次に本殿右側の
少し離れた場所に鎮座している
二つの石祠へ。
御祭神などは分かりませんが、
この石祠たちも、
白山比賣神社の「奥の院様」のように
潜伏キリシタン達が、
密かに祈ったものなのかも知れません。
石祠前から神社、海側の景色が
また素晴らしい!
そのまま岩場に下りて撮影。
このシルエットを見て、
妻曰く、「くじらみたい」。
なんとなく見えるかな?
お~!船も来ましたよ!
恐らく五島航路だと妻に話したのですが、
後で調べてみると、これが大正解。
博多と五島を結ぶ、
フェリー「太古」でした。
何というラッキーな巡り合わせでしょう!
一日一便というのに、
この日、この時間、この場所に於いて、
ピンポイントで見られたなんて!
春日神社の神様と、
潜伏キリシタンの方々、
ホントにありがとう!
ちから石
春日神社参拝の目的の一つは
「ちから石」でした・・・
しかし、
僕は境内の素晴らしさに
その事を完全に忘れ、
参拝を終えようとしました・・・
その時妻から、
「ちから石を見るんじゃなかった?」
そう言われ、やっと思い出したのです。
いや~全く記憶力ゼロですね(汗)
ちから石の案内。
「春日神社の境内に置かれている
3つの丸い「ちから石」は、
昔、春日の若者が力自慢を競った石です。
抱えて持ち上げられたら、鼻高々。
少しづつ重さが違うらしいが、
どれも手ごわい。
※重いので無理して
持ち上げないでください。」
このように書かれています。
なんか、
ヤシの実が落ちている感じ(笑)
警告を無視?
無理して石を持ち上げる妻。
全く動かずでした~(笑)
ちから石が海を眺めています(笑)
いい風景だ~!
三界萬霊塔
春日神社の参拝を終え、
少し走り出した時に
道端で見つけたのが、
こんな光景です。
真ん中の三界萬霊塔と
お地蔵様にお参り。
ちなみに「三界萬霊塔」とは、
この世の生きとし生けるものの霊
全てを祀った石塔の事です。
「三界萬霊塔」の案内。
書き出してみると
「平戸藩における三界萬霊塔の建塔は、
1639年(寛永16年)
浮橋主水事件に関連し、
京都大徳寺住職江月和尚の指導により、
平戸藩内にキリシタンが
存在しないことを示すために
始めたと伝えられています。
潜伏キリシタン集落であった
生月島南部や平戸島西岸地域で
年号銘のある塔の多くが、
寛文11年(1671)の
建塔となっており、
やはり意図的なものがあったと
考えられています。
浮橋主水事件:1639(寛永16年)
松浦氏の元家臣である浮橋主水が、
幕府に主家がキリシタンを
擁護していると訴えた事件。
当時の情勢からは、
藩自体の存続に関わるものでした。」
このようになります。
僕達が行った時には無かったのですが、
以前に撮られた写真を見ると、
「三界萬霊塔
みんなを守ってくれた石塔です」
こう手書きされた
小さな立て看板が塔の前にありました。
この一言が全てを物語っています・・・
春日集落をはじめ、
平戸にはキリシタンと関係する村には、
三界萬霊塔が多く見られるそうで、
やはりこれは、
潜伏キリシタンのカモフラージュとして
大きな力を発揮したのでしょう。
春日神社の参拝は、
切支丹(キリシタン)の
歴史まで知ることとなりました。
これって、神仏習合ならぬ、
「神切集合」かな?(笑)