別府八幡宮(山口県山陽小野田市)後編

 

古い御社殿を残す

平和な時代に

新たな御社殿を建てるきっかけは、

以前のものが老朽化するか、

落雷や火事で焼失するかの二つでしょう。

いずれにしても

「使えないから建て替える」

という意味においては同じです。

よって、どちらにしろ

「昔の社殿は無い」

これが普通。

ところが、別府八幡宮では、

建て替え前の本殿と拝殿が、

移築され大切に残されています。

神様のご神威を高めるには、

常に新たな息吹は大切ですが、

昔に思いを馳せ、その流れの中で、

今あることを感謝するためにも

昔のものを残すことは、

素晴らしいことだと思います。

拝殿

前編で書いたように、

参道を歩くだけで、

あまりにも多くの感動ポイントがあり、

拝殿前に来たときには、

既に、参拝したくらいに

有り難い気持ちになっていました。

しかし、ちゃんと参拝はします(笑)

拝殿。

神社の創建について、

神社のサイトを要約・加筆すると

「神護景雲四年(770)、

和気清麻呂公によって

豊前国(大分県)の

宇佐神宮より勧請されたことを

創建の始めとする。

道鏡の失脚後、罪を解かれ帰京中、

清麻呂公の船が嵐に遭い

有帆(地名)の入り江に船を寄せ

宇佐神宮の八幡神に祈ったところ

たちまち嵐は鎮まり、

和気清麻呂公は、

ここに八幡宇佐宮を勧請奉り、

神威に驚嘆した民衆により

社殿が建立された。」

このようになります。

和気清麻呂公自らが

勧請した神社とは、

何とも凄いですね!

今年初め、北九州市、葛原八幡神社

和気清麻呂公に参拝したご利益で、

別府八幡宮に出会えたのかも(笑)

しめ縄のデザインも秀逸。

御神燈の紋は一本松ですが、

御社殿などの神紋は左三つ巴です。

左から拝殿、幣殿、本殿。

本殿にもご挨拶。

拝殿前で記念のツーショット完了。

旧拝殿

本殿東側(向かって右側)には、

旧拝殿が鎮座しています。

エントランス。

文化元年(1804)寄進の手水鉢。

旧拝殿。

神社さんのサイトによると

「天保八年(1837)

毛利氏によって改築された」

このように案内されています。

向かって左横の軒下に注目。

横幅3mくらいの大きな矢?

昭和57年の幣殿拝殿建て替え時に

奉納されたもののようです。

旧本殿

次に本殿西側に鎮座するのが、

旧本殿です。

素朴な雰囲気で、

何とも素敵ですね!

神社さんのサイトによると、

「大内弘世は永和二年(1376)

本殿を造営しており、

現在本殿西側にある旧本殿が、

この建物であると伝えられている。」

このように書かれています。

大内弘世さんと言えば、

下関市の住吉神社本殿を建てた人。

ここ別府八幡宮への崇敬も

かなり篤かったのでしょうね!

厄割り玉

旧本殿の手前、

拝殿左横には、

「厄割り玉」というものがあります。

テントがあるのが良いですね。

案内には、

「この玉に息を三度吹きかけて

心身の罪・穢・厄をうつし

これを割ることにより厄を砕き

お清めとなります。」

このように書かれています。

人が穢れてもその代役が

その穢や厄を負ってくれるという点が、

人に優しい神道の共通概念でしょう。

僕たちが過去に体験した

大晦日の大祓神事などでも、

布に息を吹きかけて布を破るなど

これと似た感じで

厄を落とす事ができますし。

汚れ多き人間(笑)として

かなり気楽になれるのが、

ホントに有り難いことですね。

ご朱印

境内を掃除されていた

神職さんらしき方に

御朱印をお願いしました。

いや~!!めっちゃ達筆だ~♪

嬉しくなって、

一本松のご朱印と

一本松の御神燈のコラボで、

撮影してしまいました(笑)

今日の注目

社務所横に置いてある

遊具に注目。

「遊具

ご自由にご利用ください」

こんな案内があります。

なんだろう、この限りない優しさ!

僕たちは遊具を使わなかったけど、

これを使って境内で

楽しく遊ぶ人々の姿を

想像させられましたよ!

 

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