吉備津神社(2019年福山の旅)後編
吉備津神社の境内社群
境内社と言えば、
摂社、末社とも言われ、
本社の横や、前、後ろなどに
小さなお社だったり、
石祠だったりが比較的多い中、
吉備津神社の境内社は、
本社かとも見間違うほどの
立派な専用の境内があったり、
社殿も大きかったりと
立派なものが多々ありました。
時間は限られていましたが、
その多くに参拝出来たことは、
素敵な旅の思い出になっています。
乳房神社
公孫樹(いちょう)の枝は、
樹齢を重ねると、養分を吸収するため
乳のように垂れてくる習性があります。
僕も御神木などで、見てきました。
そんな「乳」にあやかった安産の神様が、
乳房神社です。
「公孫樹乳房神」の社号標もあります。
しかし・・・
乳房といえども公孫樹の木の乳房は、
まるでヘチマのように
垂れ下がったものばかりですから
子供を産む母親のものとは、
ちょっと違うような・・・(笑)
そんなツッコミは神様に失礼ですね(汗)
十二神社
十二の神様が祀ってあるのかと
思っていましたが、
そうではないようです。
参道。
境内社までも長い道のりです。
神学には「大名持神社」の文字。
大名持とは大国主命の事です。
参道の両脇には十二支の石像があり
両脇から参拝者を見ています。
「今年の干支」というアーチが置かれたのは、
もちろん、今年の干支、イノシシです。
そして、ほんの1ヶ月ちょっと前までは、
アーチが置かれていたであろう隣の犬。
イノシシに比べて、
竹で作った賽銭入れの高さが、
めっちゃ低い~!!
主役を降りた犬の寂しさが伝わって来ます・・・
もちろん、イノシシ以外は
全て犬と同じく低かったのですが、
一つだけ特別待遇?を
受けている石像がありました。
桃から生まれた桃太郎!!
十二支とは無関係に、
愛されているキャラなのかも知れませんね。
桃太郎が犬、猿、キジに
鬼退治の報酬として渡した「たきび団子」は、
漢字で書くと「黍団子」です。
この黍(きび)が穫れることから
このあたり一帯は、
「吉備国」と言う名になったという説もあり
その吉備国が4つに分割される前は、
福山も岡山も同じ吉備国だった訳ですから
ここも「桃太郎の本場」
と行っても過言ではないのです。
だから特別待遇はありですネ(笑)
案内。
階段も長い・・・
途中には稲荷神社もあります。
十二神社拝殿にて参拝。
本殿は比較的新しい感じでした。
多理比理(たりひり)神社
何とこの神社は「式内社」(論社)でした。
吉備津神社の境内にありながら
式内社というのは驚きです。
式内社とは、平安時代の
927年にまとめられた延喜式神名帳に
記載された神社の事ですから、
千年以上の歴史が書面によって
証明されているようなものなのです。
その神社として比定されているのが、
この多理比理神社です。
参拝。
十麻里二柱神社
旅人の安全を守る神社です。
案内。
本殿に向かって左側は、
後から作られたであろう緩やかな階段で、
よく言う「女坂」みたいな位置づけでしょう。
向かって右側は元々ある急な階段なので、
「男坂」的なものでしょう。
参拝。
ここで、僕の目を奪ったのは、
「車のキーは 神棚におきましょう」
というお言葉。
ここで、僕の心の声が・・・
「神棚か~!
高さが問題だな・・・
車に乗るたびに椅子に乗って
キーを取ったり戻したりするのか・・・」
こんな声が響いていました(笑)
確かに神様のご加護もありそうだし
キーを失くす事もなさそうです(笑)
クラシックカーの絵馬が、ハイカラ!
疱瘡神社
ほうそう神社というのでしょう。
御祭神は、もちろん?
医薬の神様で有名な、少彦名神。
伝染病、アトピーなどにご利益があるそう。
武内神社
三韓征伐など、神功皇后との
コンビが絶妙だった
武内宿禰が御祭神。
武内宿禰は、
300年生きたというから
不老長寿のご利益もあるかも?
厩戸皇子神社
聖徳太子を祭った神社です。
厩戸皇子は聖徳太子の事ですね!
吉備津天満宮
菅原道真公を祭った神社。
もちろん、学問の神様です。
祖神社 彰徳宮 白髪神社
三柱が一つのお社に鎮座しています。
御由緒はわかりませんでしたが、
名前からすると、
祖先を祭る神様、
誰かを顕彰する神様、
白髪は・・・長寿の神様?
いや全部推測ですので悪しからず・・・
秋葉神社 四所神社
御由緒を発見出来なかったので、
推測ですが、
秋葉神社は火除け、火伏せの神様でしょう。
四所神社は・・・
推測不可能でした(笑)
櫻山神社
人物が祭られた神社です。
案内の石碑。
右から左への横書きや、
文章からすると
明治時代に建立されたものかも
知れません。
祭神の櫻山茲俊は鎌倉時代末期の
元弘の乱時、後醍醐天皇に呼応して
この地で挙兵しそして戦いに破れ、
妻子を殺し、自刃して果てた人で、
この櫻山神社は、
明治初期までは近くの桜山城跡の
祠に祭られていたものを
明治44年、ここに社殿を建立し
祭ったものです。
広大な境内地は、
元はと言えば、神宮寺の跡です。
明治から昭和20年の終戦までの
皇国史観を国民に浸透させる一環で、
大楠公(楠木正成)と同じように
命を顧みず、天皇に最後まで従った
忠臣として、ここに祭られたのでしょう。
御社殿は立派の一言に尽きます。
まるで、独立した本社のようですね。
大山祗神社
愛媛県、大三島の
大山祗神社を勧請したのかどうかは、
分かりませんが、同じ神様です。
石段の参道。
御社殿の左横に
「縣社」の石柱が見えます。
戦前の社格だと、
吉備津神社は「国幣小社」ですから
この「縣社」とは大山祇神社の
事かも知れません。
境内社ながらも縣社という社格が
あったのか、それとも違うのか・・・
それは謎です(笑)
ここには神馬もいらっしゃいました。
厳島神社
境内社ではなく、
参道を出て、少し行った場所に
鎮座しているので、
境外摂社となります。
こちらは横からの入口です。
御祭神は宗像三女神。
この池、昔の絵図を見ると、
今の三倍の規模だったようで、
当時は三重塔も描かれていて、
やはり神仏習合の素晴らしい
場所だったことが分かります。
正面から改めて参道へ向かいます。
池の中を通る参道。
石橋は江戸時代のものかも?
参拝。
本殿は玉垣の中。
これで、やっとこさ(笑)
吉備津神社の参拝は
全て完了です。
福山での持ち時間(笑)無くなった~!