吉香(きっこう)神社(山口県岩国市)
毛利家存続の功労者、吉川広家
岩国藩の初代藩主は
吉川広家(きっかわひろいえ)と
書きたいところですが、
岩国藩が出来たのは明治維新のあと。
え〜なんで江戸時代じゃなく
明治時代に藩なんだ〜と思いますよね!
僕もこの事実を知ったときは
ビックリしましたよ(笑)
藩でなければいったい何なの?
はい、江戸時代は「岩国領」と
言っていました。
だから吉川広家は初代領主なんです。
この人、主君の毛利家存続のため
めっちゃ働いたのに冷遇された人。
関ヶ原合戦直前、東軍の徳川家康に
こう言っていました。
「毛利さん、西軍の大将になってますが、
あれは仮の姿、
本当は家康さんの味方ですから
ご安心下さい。
僕も関ヶ原では家康さんを
攻めたりなんかしませんから
東軍が勝った後、毛利さんの領地は
取り上げないでくださいね!ヨロピク!」
と主君毛利家の安泰を願い身を
粉にしていたのです。
徳川家康も
「OK任せとき!」と二つ返事。
結果は予想通り徳川家康の東軍が勝利、
毛利家も安泰、めでたしめでたし〜
となるかと思いきや、
そこは勝者の論理、
生殺与奪は全て勝ったものが決めるのが常。
毛利さん、あなたは大阪城で
打倒家康の血判状まで書いてたでしょう。
それ、アウト〜!!
などいちゃもんをつけ
あんたはクビ!お家断絶!
と決まったのです(悲)
毛利くんみたいな大大名は
取り除きたいのが
天下人ですよね!
しかし、東軍の勝利にめっちゃ貢献した
吉川くんにはご褒美として
毛利くんが持っていた領地の一部、
周防、長門の二国をあげちゃうから
頑張ってね!と激励される始末。
律儀な吉川くんは、
いえいえめっそうもない、
私なんかにゃ勿体のうございやす!
主君毛利家の存続、何卒よろしく!
ボク周防、長門はいりませんから〜!
こんな主君思いの吉川くんの心意気におされ
結局、家康も
だったら周防、長門は毛利くんにあげるよ。
でも君は岩国藩を任せるね!
とこうなったのですが、
吉川君の奔走で、首の皮一枚繋がった
主君の毛利くんですが、
吉川くんに感謝どころか
岩国は藩とは認めんし
大名じゃないし、
お前はただの領主だよ!
将軍様への拝謁もダメ〜〜!
と決めて、藩にはしなかったのです。
でも幕府の徳川くんは
「岩国藩」だし
「岩国城」も作っていいし、
大名だから参勤交代もあるし
江戸屋敷もあるよ!
と大名として遇しました。
しかも吉川くん
何度も将軍様の徳川家康、秀忠に
拝謁しているんです(笑)
とまあ、こんな状態で
明治維新を迎えたというのです。
吉川家、何とも微妙なバランスで
270年も過ごしていたんですね!
こんな藩(領)って他にもあるのかな?
吉香神社へ
錦帯橋を渡るとそこは
吉川家の居館跡の広大な敷地に
公園や神社があります。
周辺案内図。
素晴らしい景観の内堀と
明治18年に建てられた絵馬堂、錦雲閣。
お堀を渡って参道を進みます。
一の鳥居
阿形の狛犬。
吽形の狛犬。
紅葉が綺麗な社叢(しゃそう)です。
手水舎には吉川家の家紋が。
岩国出身の作曲家、田中穂積の胸像など。
案内文左のボックスのボタンを押すと
大正琴のメロディーが流れます。
そしてここからご社殿に向かうと
見た事もない狛犬が登場!
岩場に上った阿形の狛犬。
吽形の狛犬も岩場の上で
攻撃態勢をとってますね!
こりゃ〜魔物も退散しますよ(笑)
江戸時代中期の建築物として、
本殿、拝殿、幣殿、神門、鳥居は
国指定重要文化財となっています、
神門から拝殿に向かいます。
神門を拝殿側から撮影。
拝殿にて参拝。
吉川家代々の祖霊を祀っています。
手前が拝殿、奥が本殿。
本殿を塀の外からズームで撮影。
ツーショットで参拝は完了。
その後の境内散策では
こんな素敵なものを発見!
美しいイチョウの絨毯!
美しい妻とのコラボも実現(笑)
今日の癒し
噴水の音が心地よい庭園の
池に浮かぶもみじの葉と錦鯉たち。
まるで絵画のような美しさに
癒されました!