小西行長陣跡(岐阜県関ケ原町)

 

流れのままに

島津義弘の陣跡の近くで、

たまたま観光客の集団が、

どこかへ歩いているのを

なにげに見ていると、

その先に、「開戦地」の幟を発見し、

そこが、肥後宇土城主の小西行長や、

備前岡山城主

宇喜多秀家の陣跡だと知りました。

やはりこんなPRは大切です(笑)

実は島津義弘の陣跡を見た後は、

島津の退き口をたどり、

関ケ原から少し離れた場所にある

島津豊久の墓へ行く予定でしたが、

欲張りな僕は、結局、

宇喜多さんの陣はあきらめるも、

小西さんの陣だけには、

行ってしまいました(笑)

限られた時間内で、

広く浅く見て回るのが今回の主旨、

しかし、

目の前に美味しいご馳走(笑)があれば、

時間を忘れて、

ついつい深堀りしてしまいますね。

小西さんは、関ヶ原で敗戦後逃走するも

数日で、捕まり首を切られましたが、

お隣の陣地の宇喜多さんは、

しぶとく薩摩まで逃げまくって、

家康からも死を免じられ、

最後は流罪先の八丈島で約50年も暮らし、

84歳まで生きたという、強者(つわもの)。

次回は、そんな幸運と、

あきらめない強い心を持った、

宇喜多さんの陣地も行ってみたいものです。

開戦地

まずは、開戦地へ。

このあたりが、開戦地界隈。

左が小西さんや、

宇喜多さんの陣ですから、

右の駐車場あたりで、

撃ち合いがあったのかな?

開戦地及び、

小西行長陣跡への入り口。

宇喜多さんの旗印、

紺地に兒文字(こもんじ)と

小西さんの旗印、

白地に青の山道

(言い方はいくつかあるようです)も

はためいています。

案内。

「午前8時頃、

松平忠吉と井伊直政が

抜け駆けして宇喜多隊に発砲。

天下の覇権をかけた

国内最大級の戦いが、

ここ関ヶ原で繰り広げられることとなった」

このように書かれています。

開戦地の石碑。

開戦地の地図。

やはり現地で見ると、

よく頭に入ってきますね。

小西行長陣跡

次は小西さんの陣へ。

エントランス。

ここが陣跡。

古い石碑。

案内板。

案内板には、

小西さん家紋、中結祇園守

(なかむすびぎおんまもり)

もあしらわれています。

同じ西軍だった立花宗茂の

祇園守紋と似た、

西洋風のカッコいい家紋ですね。

最後に、小西行長の陣から見た風景。

島津義弘の陣が見えています。

やはりここに来られたのは、

島津義弘さんのお陰かな?(笑)

 

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