島津義弘陣跡(岐阜県関ケ原町)

 

西軍ファンの聖地

僕は家康が天下を取り

江戸時代が260年続き、

これで日本は良かったと思っていますが、

豊臣推しで、家康が嫌いな人ならば、

関ケ原で石田三成が負け、

豊臣氏滅亡のきっかけとなったことは

悔しい限りでしょう・・・。

そんな西軍ファンの悔しさを

少しだけ拭ってくれるのが、

勝敗が決した後、

島津義弘が家康の本陣前を駆け抜けた

敵中突破での戦線離脱、

「島津の退き口」かも知れません。

僕も今回の旅では、関ヶ原散策の後、

その「退き口」の一部を辿る予定なので、

島津義弘陣跡の訪問には、

かなり思い入れがあったのも事実です(笑)

小池明神明神社

何回も書きましたが、

関ヶ原の陣跡は駐車場完備が多く、

本当にストレス無く巡ることが出来ます。

「神社のすぐ裏側です。」

こんな案内も親切でありがたい!

まずは、神社に参拝から。

小池神明神社の由来。

鳥居をくぐり御社殿へ。

手水舎。

拝殿にて参拝。

拝殿両脇には

石製の御神酒入れがあります。

本殿にも参拝。

島津義弘陣跡

案内の通り、神社の裏側へ回ると

そこに島津義弘陣跡があります。

笹尾山の石田三成陣跡などに比べ、

ひっそりとした佇まいですね。

案内。

石碑など。

「小池 島津義弘陣所古跡」碑。

この古い石碑を、さらに石柱で囲い、

石碑自体が大切されています。

もう一つの石碑。

「公爵 島津忠重書」

このように記されています。

調べてみると島津忠重さんは

島津家30代当主の方でした。

下部にあるのは、

「関ヶ原戦跡踏破隊」名碑の案内。

「鹿児島県日置市の青少年で組織する

関ヶ原踏破隊は、昭和三十五年から

毎年夏休みを利用して

関ヶ原から大阪までの

島津勢退路を踏破しています

(途中電車等も利用)」

「また、

関ヶ原戦跡踏破隊が取り持つ縁で、

関ヶ原町と日置市(旧伊集院町)は、

昭和三十八年に

兄弟都市盟約を結んでいます。」

このように書かれています。

関ヶ原踏破隊のFacebookを見ると、

令和2年はコロナの問題で

中止になったものの

令和元年までは60回も

続いていている、素晴らしい行事です。

また、「電車等も利用」と

書かれてはいますが、

70Kmほどは歩きで、しかも峠越えなど

車も通れない獣道のような場所まである

過酷な「行軍」のようだし、

参加者は小学5年生位からですから、

相当に根性(古い言葉か?)も

必要なはずでしょう。

この行事は毎年、鹿児島で行われる、

鹿児島市の照国神社から

日置市の徳重神社までの20Kmを歩く

妙円寺詣り」と同じ主旨ですね。

しかし・・・

実は、僕たち、肝心な名碑自体は、

ちゃんと見ていませんでした~(汗)

今日の公園

島津義弘陣跡の駐車場近くには、

「関ヶ原合戦400年記念

平和の杜」という公園があります。

こんな公園です。

芸術作品については、

正直よくわかりませんが、

この石のモニュメントが、

イースター島の

モアイ像に見えてしまった僕でした(笑)

 

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