島津豊久の墓(岐阜県大垣市)

 

島津の退き口を辿る

関ケ原の戦いにおいて、

西軍が壊滅し、石田三成など

主な武将は死ぬか逃げるかしていた頃、

薩摩軍だけが、

いまだ陣地に留まっており、

島津義弘は切腹を考えたものの、

「敵中突破をして、

生きて大将が国に帰る事が、

将来の島津家の事を考えれば

死ぬよりも大切だ」と説いたのが、

甥の島津豊久だったそうです。

(Wikipediaによる)。

その豊久は、義弘の身代わりとなり

敵を引きつけ、満身創痍になり

最後を遂げています。

島津豊久のお墓は、

自刃または戦死した(諸説あり)場所近く、

岐阜県大垣市石津町にあり

関ヶ原の陣地からは、

車で40分ほどのところです。

追手と戦いつつ、走ったり、

馬に乗ったりしてここまで来るならば、

もっと時間はかかったでしょう。

そんな執拗な追手を命懸けでかわして、

大将の義弘が薩摩までたどり着いた事は、

薩摩兵が比類なき勇気を持ち、

圧倒的に強い事を証明し、

その後の経緯もあって、

家康も薩摩を武力で

ねじ伏せる事をあきらめ、

本領もそのまま安堵されるという、

豊久の言った通り、

「将来の島津家」の安泰に繋がっています。

もし、島津義弘が潔く切腹していたら・・・

今の鹿児島県は無く、

西郷どんも大久保利通も出現せず、

明治維新も違った形になったかも?

話が飛躍し過ぎか(笑)

島津豊久の墓へ

お墓の前まで来て、

駐車場を探すも無し(汗)

仕方なく、斜向いの公民館に

駐車させてもらいました。

しかし、たまたまここは、

「停めていい駐車場」だったのです。

上多良公民館にある案内。

「敵中突破 れきしの里」

確かに間違いありませんね!

そして、

「ここは、上多良区の駐車場です。

島津豊久公を訪ねて来られた方は、

ご利用ください」

このように書かれています。

「島津豊久公を訪ねて来られた方」

この表現に思わずニヤリ(笑)

お墓や関連した場所を訪問する人に対し、

豊久公がご近所に住んでいるような、

この親近感ぶりが、嬉しいですね!

この木々の中にお墓はあります。

案内によると、

島津義弘陣跡で知った、

鹿児島県の青少年が

島津の退き口を辿る

「関ヶ原戦跡踏破隊」も

毎年ここを訪問しています。

やはりここは鹿児島の人にとって、

自分達の存在意義にも関わる、

大切な場所に違いありません。

エントランス。

森へ。

ほどなく到着。

豊久のお墓は真ん中にあります。

ここは、すぐ近くのお寺、

瑠璃光寺の境内でもあり、

豊久を手厚く葬ったのも

瑠璃光寺の住職達だと言われています。

島津豊久の墓にお参り。

右側の小さな五輪塔は、

家臣のものでしょうか・・・

左隣の白菊稲荷大明神にも参拝。

お墓の右側の

「関ヶ原合戦四百年記念

島津豊久公顕彰碑」。

これで、島津豊久のお墓参りは完了です。

 

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