琴似神社(札幌市)琴似天満宮
150年の時を超えて共存
琴似神社には、
新旧の御社殿が、
仲良く共存しています。
現在の御社殿建立が昭和二十八年で、
その建て替え時、
明治初期の建立で、
「武早智雄神社」と称した時代からの
旧御本殿は、「報徳神社」として、
明治三十年建立の旧拝殿は
「祖霊社」となり、
新たな神様をお祭りし、
継続して琴似神社の一翼を
担っておられます。
自然災害、人災など全ての災を乗り越え、
今ここに150年の時を超えて
共存する幸運の御社殿たち、
感動せずにはいられませんね!
報徳神社
本殿の御祭神、
大國主大神、武早智雄神、
土津霊神(保科正之公)
参拝後、境内社へ。
拝殿から振り返ると、
左右に境内社が見えています。
左が報徳神社、右が琴似天満宮で、
まずは旧御本殿に敬意を表し、
報徳神社へ。
リニューアル工事中ですが、
参拝は出来そうです。
案内。
琴似神社の歴史を見つめてきた
旧本殿に祀られるのは、
琴似の礎を築かれた、
240柱の屯田兵の皆様と、
西南戦争から第二次世界大戦の
戦没者の方々です。
今の北海道・琴似があるのも
御祭神たちのお陰なんですね・・・
祖霊社
次に琴似天満宮・・
ではなく、旧拝殿の祖霊社へ。
玉垣外の鎮座で、
一般人は入れませんので、
屋根を見ながら参拝(遥拝)。
琴似天満宮
ここの「凄いポイント」は、
「御神像」のいわれです。
パンフレットを抜粋すると
以下になります。
「御門山琴似天満宮(御神像について)
山の手のときの古老曰く(昭和七年ころ)
凡そ、明治の中期の頃、
札幌市白石菊水地区に住める
天神様(菅原大神)に崇敬の心篤い老媼が
広く町の子等の学業成就の祈りをこめて
この御神像を(旧)文化通り突き当りの
三角山すそ
(現住所:西区山の手一条十一丁目)に
東面して祀ったという逸話があったとゆう。
尚、御神像の右片の青裏に
重陽後一日の詩編の一部分が
彫刻されてある。」
「重陽後一日
去年今夜侍清涼
秋思詩篇独断腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拝余香
(大意)自分は今、
都を遠くはなれているが、
去年の今夜、清涼殿で畏き辺りに遅待し、
秋思の題で詩を作り、
倒感にあづかったことを思うと
感慨に堪えない。
当日賜った御衣を、今も尚、
毎日捧げ持って思を宮闕に馳せ、
天恩の添けなさに感泣している次第である。
(重陽は九月九日で五節句の一つ)」
こんな御神像に参拝できるとは、
めっちゃラッキーですよ!
ワクワクしながら御社殿へ。
参拝。
大きくて立派な御神像ですね!
御簾に隠れて拝顔出来ませんので、
失礼して、
覗かせていただく事に・・
お〜神々しいお顔だ〜!
御神像というもので、
こんなにまで感動できるのも
詳し〜い説明まで準備された
親切この上ない琴似神社さんのお陰、
参拝出来て本当によかったですよ!
牛ちゃんも撫で撫で。
これでご利益倍増か?(笑)
琴似屯田兵屋
境内に残る屯田兵屋も訪問予定でしたが、
鍵がかかっていて、行けません・・・
隙間から撮影。
屯田兵屋の姿、
ちょっとだけ見えていますね!
実物の体験はできないものの
パンフレットには、
その歴史などが詳しく案内されています。
「東北県人、亘理(宮城県)
斗南藩士(旧会津藩士)らが入地」
この見出しだけで、
戊辰戦争後の東北諸藩の苦しみに
思いを馳せてしまいます・・
ここでの注目は、
「我が国が北海道に
屯田兵を設置するにあたっては、
政府は帝政ロシア時代の
屯田兵制度を視察し、
大いに参考にしております。」
ここです・・・
ロシアの脅威に備えるのに、
ロシアを真似たとは驚きですね。
御朱印
参拝後、御朱印を
授与いただくために社務所へ。
お〜!!
これは・・・
赤べこですよ!!
もうたまらんですな〜
北海道の札幌にいるのに、
会津若松の思い出が一気に溢れます。
もちろん保科正之さんも
琴似神社の御祭神だから
赤べこちゃんもいるのでしょう。
最後にツーショット完了。
琴似屯田記念碑
神社と道路を挟んだ向かい側に、
屯田兵顕彰などの石碑群があります。
この界隈は、屯田兵にまつわる痕跡が、
町の各所で見られるようで、
「開拓の歴史のみち」として、
分かりやすく案内されています。
余談ですが、
キーボードで「開拓」と打つ所、
並びのTとRを間違ってしまい、
「開拓」でなく「快楽」と変換され
もし気づかなければ
「快楽の歴史のみち」と
なっていました(笑)
屯田兵さん、ごめんちゃい!
屯田兵入植当時の琴似。
石碑群へ。
詳しく丁寧な案内板、
これは素晴らしい!
ここからは、それぞれの写真と
解説の要約です。
「琴似屯田兵顕彰碑」
「開村五十年とこれに功績のあった
屯田兵を記念して、
琴似兵村五十年記念塔が、
大正十三年、
現在の琴似神社境内に建立されたが、
老朽化のため取り壊され、
その後継として、
顕彰碑が建立された。」
「屯田兵本部趾」
「開村五十年を記念して、
大正十三年、現在の西消防署琴
似出張所北東角に建立される。」
北東角とは、
鬼門を守っていたのかも?(笑)
「記念碑
(通称・・琴似屯田開村記念碑)
「北海道で初めての屯田兵が
琴似地区に入植し、
その後琴似村へと発展した足跡と、
屯田兵の功績を記念して明治三十年一月
現在の琴似神社拝殿付近に建立される。」
「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」
「紀元二千六百年を祝して、
昭和十五年、現在の西区役所の
北東角付近に建立される。」
こちらもまた、「北東角」、
鬼門封じですね!
石碑を建てる時って、
「鬼門」を意識しているのかな?
「琴似屯田百年記念碑」
「屯田兵が入植して百年を記念し
昭和五十年九月三十日、
西区役所前庭に建立される。」
こちらは鬼門を守っていませんね(笑)
ここまでで、
琴似神社の散策は全て完了し、
琴似屯田兵村兵屋跡へと向かいます。