2023/05/31

土津神社(福島県猪苗代町)墳墓編

 

引き継がれる真心

三代将軍、徳川家光の

義弟である保科正之。

土津神社と

奥之院(お墓)で感じたのは、

保科正之公の人柄です。

この人が、

家光さんの弟としていたからこそ、

家光さんの良き相談相手として、

陰から支えることもでき、

家光さん亡き後、

「明暦の大火」後の

江戸城天守の再建中止の

英断も下されたのでしょう。

将軍の弟ながらも

常に家光さんを「上様」として、

忠節を尽くし続けた保科さんの真心は、

今の土津神社へも

引き継がれている気がします。

奥之院

保科正之公のお墓があるのが、

土津神社本殿の北に位置する

奥之院と呼ばれる場所です。

奥の院まで500mの駆け足(笑)

場合によっては?

熊が出るそうです(汗)

本殿横を通過。

石畳&杉並木。

何となくですが、

熊野古道を思い出します。

「参道石畳遺構解説」

参道には、

真っ白な石が敷かれていたのが、

わかりますね。

そんなに熊が出るのか・・(汗)

息を切らしながらも

ようやく見えてきた参拝所に

気力も復活(笑)

遠くからズームで撮影すると、

巨大な墳鎮石が

屋根の上に見えていますね!

墳墓地は高い杉で覆われ、

荘厳な雰囲気が漂う、

まさに神聖な場所です。

到着。

ここには上下に種類の案内があり、

要約して書き出すと、

以下になります。

「保科正之公墳墓

会津藩初代藩主保科正之公は

寛文十二年(1672)十二月十八日

江戸において、六十二歳で亡くなられた。

正之公は

「我死せば磐椅神社の末社となりて

永く奉仕せん」

と自らの埋葬地を

猪苗代湖が一望できる

磐梯山麓に決めていたので、

二代藩主正経は遺言通り

墳墓の造営にあたった。

最初南北六十間東西三十二間に

柵を作り四方に鳥居を立て、

三月二十六・二十七の

両日にわたって葬儀をとり行った。

その後棺の所に円墳を築き頂上に

「土津神墳鎮石」と刻んだ

八角形の鎮石を建てた。」

次に下の案内です。

「奥之院

由緒

表石「會津中将源君の墓」の奥にある

小高い盛土の中に

棺が収められています。

奥之院は八角形の敷地で、

盛土には、八角形の

「土津墳鎮石」があります。

神葬祭(神式のお葬式)が

一般に開かれ始めたのが

1785年と言われていますので、

保科正之公の神葬祭が

黎明に当たると思われます。」

次に、

「レイライン」について

書かれています。

「徳川家康公にまつわる

レイラインに、

「不死の道」「太陽の道」

「北極星の道」があります。

不死の道は、

日光東照宮ー世良田東照宮ー

富士山ー久能山東照宮を

結んだものですが、

日光東照宮と土津神社を結ぶと

続いて綺麗なラインが引けます。

徳川家への忠義の表れとして

鎮座地に会津・猪苗代の地を

選んだのかもしれません。

土津神社では「大義の道」と

呼んでいます。

また、鎮座地が鶴ヶ城の北東(鬼門)に

当たることから鶴ヶ城の

鬼門鎮守・會津守護神としての

役割を担っています。」

いや〜凄いですね!

レイラインの終点が土津神社だったとは!

斜めから見学。

参拝。

ここも東日本大震災では、

大きな被害が出ていたのですね・・・

参道を駆け下って(笑)

駐車場を目指します。

会津若松駅へ

奥之院往復1Kmを駆け足で走破し、

ここから会津若松駅を目指します。

境内の桜に別れを告げ駐車場へ。

高速道路に乗る前、

土津神社を擁する磐梯山を撮影。

磐梯山、何度見ても

素晴らしい山です!

 

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