小動神社(鎌倉市腰越)
「小動」の由来
珍しい神社名でも上位に入りそうな、
「小動神社」。
神社の案内には、その理由も含め、
御由緒などが、
以下のように書かれています。
「小動という地名は、
風もないのにゆれる
美しい松「小動の松」が
この岬の頂に
あったということに由来します。
縁起によれば、
源頼朝に伊豆配流の時代から仕えた
佐々木盛綱が、
源平合戦の時に父祖の領国であった
近江国から八王子宮を
勧請したものと伝えられています。
元弘三年(1333)五月には、
新田義貞が鎌倉攻めの
戦勝祈願をしたといいます。
七月第一日曜日から
第二日曜日にかけて行われる天王祭は、
江ノ島の八坂神社との
共同の大規模なお祭りで、
町一帯を回る神輿や氏子五か町の
囃子屋台などで大いに賑わいます。」
なるほど、
何とも風流な松があったのですね!
腰越での訪問地
朝7時30分ころ、
江ノ電の腰越駅に到着。
9時に開く満福寺参拝までの
1時間半の散策は、
予想以上に中身の濃い
素晴らしい時間となりました。
腰越駅の案内。
一部を拡大してみます。
黄色の丸で囲んだところが、
腰越での訪問地です。
最初に小動神社、次に腰越港、
その後、浄泉寺を参拝し、
満福寺へと向かいます。
参道
腰越駅から徒歩5分、
小動神社の社頭に到着。
一の鳥居。
神仏習合の名残でしょうか、
鳥居のすぐ左には、
日蓮宗の守護神、
「鬼子母神」が鎮座。
まずはここに参拝。
山車庫の大きさにビックリ!
ここには、冒頭に書いた「天王祭」の
山車が安置されているようです。
デッカイ燈籠と妻。
参道右側には、
見たこともない藤棚を発見。
藤が下がるのではなく、
柵が取り付けられて、
上に伸ばされているのです!
いったい、
どんな理由があるのでしょう?
未だに謎は解けません・・・
冒頭に書き出した神社の案内。
「小動神社由緒略記」
かいつまんで書くと、
「■祭神
日本武尊(1月例大祭の祭神)
素盞嗚尊(7月天王祭の祭神)
建御名方神(8月諏訪祭の祭神)
歳徳神(お正月の神様)
■伝承
相模風土記に往時、
弘仁年中(810~822)
弘法大師、小動山に登りし時、
老松に神女影向あり、
この松を小動の松と云うとあり。」
このようになります。
その他、
佐々木盛綱が神社を勧請、
新田義貞が再興した事などが
書かれています。
手水舎。
石段で御社殿へ。
左右の燈籠は、
嘉永六年(1853)の寄進です。
二の鳥居。
御社殿
鳥居をくぐると、
すぐ右側に拝殿がありますので、
左に折れて、距離をとっての撮影です。
拝殿。
まだ7時半過ぎだというのに、
拝殿の扉は開けられています。
こんな早朝から開けていただき、
宮司さんには感謝ですね!
狛犬の頭巾に癒やされます(笑)
吽形もこの通り、
頭巾でおめかし(笑)
金ピカの鈴。
参拝。
賽銭箱の神紋は、
角立て四つ目。
小動神社を勧請した
「佐々木盛綱」の家紋が、
あしらわれていますね!
拝殿左から本殿へ。
本殿に参拝。
境内社
まずは、
本殿左横に鎮座する
海神社へ。
御祭神は、綿津見神、
漁業、航海の神様です。
敷地内の「龍王海神」と書かれた亀。
わたつみ神と関係ありそうな
お名前ですが、詳細は不明です。
参拝。
こちらは各所から
合祀された神様たち(多分)
左、金刀比羅宮、
右、稲荷社。
金刀比羅宮に参拝。
稲荷社に参拝。
次に拝殿の向かい側に鎮座する
大六天社へ。
御祭神は、淤母陀琉神。
神社検定のテキストで
習った神様なので、
ちょと嬉くなります。
「おもだる」を超訳すると
「イケメン」(笑)
参拝。
これで僕もイケメン決定(笑)
腰越遠見番所跡
海辺に鎮座する神社には、
たま~~に(笑)
江戸時代の遠見番所跡が
残されている場合がありますが、
ここもその一つです。
神社の海側の端っこに、
展望台的な造りの施設があり、
番所の役人の気持ちを味わえます(笑)
案内。
書き出すと以下になります。
「天保十三年(1842)、
当時の鎌倉郡腰越村は、
幕府から相模警備を命じられた
川越藩管理のもと、
恒常的な海防への
協力を余儀なくされました。
ここ小動神社展望台の左手には、
かつて番所が置かれ、
主に異国船渡来の通報拠点としての
役割を担ったとのことです。」
腰越村の人たちも
何かと大変だったようですが、
僕たちは、
そんな大変さのお陰で、
こんな絶景に出会う事ができました。
お~素晴らしい!
江ノ島も見えていますよ!
条件反射で江ノ島をズームで撮影。
こちらは、神社参拝後、
腰越漁港の堤防から撮った、
遠見番所跡方面の景色。
小動神社が断崖上に建っているのが、
よく分かります。
最後はツーショットで参拝完了です。