角牟礼城(大分県玖珠町)後編

 

歴史は生き物

歴史というものは年々変わります。

それは、「最新の調査が正しい歴史」

となるからで、今までも、

僕らの世代が、いい国作ろう鎌倉幕府と

覚えた1192年の鎌倉幕府成立は、

教科書でも1185年に改められていたり、

士農工商の身分制度が教科書から消えたり

まあ、書けばきりがないほど

多くの歴史が書き改められてきました。

そして、

僕たちが角牟礼城を訪問したのが、

2018年10月27日。

その1年少し前の角牟礼城の写真や

案内、ブログを見ると今との違いに驚きます。

まず一番違うのが、「大手門」の場所。

昨日書いた前編で紹介した大手門、

以前は「搦手門」(裏門)となっています。

この1年ちょっとの間に

「やっぱこっちが大手門じゃないのか?」

「間違いなさそうだ!」

「よし書き換えよう!」

調査隊のそんな会話があったか

なかったかは分かりませんが、

メインの案内は書き換えられていました。

ただ、道案内など多くは旧表記のまま

書かれているので、今は新旧混在の

案内となっていて僕も

少し頭が混乱しました(笑)

もちろん以前、大手門とされていた門跡も

「西門」と変更されていて、

やっぱり歴史は生き物だということを

身をもって知ったのでした。

西の丸西曲輪

大手門から登って少し行くと

こんな看板があります。

血なまぐさい戦国の戦いとは

無縁でのどかな小鳥たちの紹介です。

それにしても「ヤマドリ」って全長が

1m30cmもあるんですね!

いきなり遭遇したら怖いかも(笑)

二の丸西曲輪の石垣。

豪雨災害の修復中でした。

同じ石垣を角度を変えて撮影。

二の丸西曲輪に到着。

以前の写真では、

「(伝)二の丸跡」となっていて、

発掘調査の結果、(伝)は取れて、

「二の丸」は、「二の丸西曲輪」と

詳しくなっています。

調査隊の方々ありがとう!

二の丸西曲輪の全景。

礎石も見つかっています。

西門

大手門手前の壮麗な石垣などと並んで

この西門も角牟礼城の

大きな見どころとなっています。

西門跡の案内板。

二の丸西曲輪からすぐ外側の石垣。

すでにここは西門の一部です。

桝形虎口を形成する石垣。

少し降りて撮影。

よくこれだけに石垣が残っていたものです。

恐らく相当に高い石工集団が

この石垣の普請を担当したのでしょう。

苔むしていながらも

ほぼ原型を保っています。

櫓門の真下あたりの石垣。

西門の階段部分は埋もれていますが、

形はよくわかりますね。

そして、ここからの眺望も

なかなか良いですね。

戦国時代は命がけでここから

見張っていたのでしょう。

本丸

西門を堪能した後は、

いよいよ本丸へと向かます。

新しい案内。

相変わらず道の所々には

仏像が睨みをきかせています。

本丸虎口跡。

本丸(山頂)。

本丸跡の案内にテンションが上がって、

いきなりツーショット(笑)

隅櫓跡。

土塁も残っています。

これで、この城も制覇完了・・

ではなくまだ続きます。

展望所

この山(城)で一番景色の良い場所がここ。

案内の看板では久住山も

描かれていますね。

全ての山の名前も書かれていて、

かなり分かりやすく親切なものです。

その看板の景色を実際に見ると・・・

お~!素晴らしい!

ズームして直下を撮ると、

出発点の三島公園や

久留島武彦記念館も良くわかります。

左側の平らな山が、

大岩扇(おおがんせん)、

その右側が、

小岩扇(こがんせん)という山で、

二つの山の間には江戸時代、

森藩の参勤交代道がのびています。

こちらは展望台から右側に見える

伐株山(きりかぶやま)

確かに、切り株ですよね!!

名前付けた人、いいセンスしています。

と思ったところで、

Wikipediaで調べると

こんな事が書いてありました。

「豊後国風土記によると、

玖珠(くす)という地名は、

かつてこの地に存在した大きなクスノキに

ちなむものであるという。

そして、伐株山は大きなクスノキの

木陰となって日が当たらずに

困った住民が、それを切り倒した後の

切株であるという伝説がある。」

きっと背丈が1kmくらいのクスノキが

そびえ立っていたんでしょう!

壮大なロマン溢れる伐株山です。

展望台からはここに書いていない

神社へと向かいます。

角牟礼神社

展望台から少し下ると

神社が見えて来ます。

隙間がある石段が、

歴史を物語っています。

神社の本殿というより

お寺のお堂のような雰囲気です。

やはり「仏」の雰囲気満載です。

神額。

やはり神仏習合だった名残でしょう。

賽銭箱の手前には、

久留島家の家紋が入った、

線香立てもあります。

源為朝がこの地に来たという

伝説もあるようです。

神社全景。

やはりお堂だ~(笑)

倉庫とともに。

ここまでで、角牟礼城散策は完了し

あとは下るだけ。

来た階段を足を

ガクガクさせて歩きます(笑)

妻の足はパンパンで、

実はこの日から一週間、

ふくらはぎが痛くて大変でした(笑)

そして、

もうすぐ末廣神社の境内に着く手前で

いきなり景色が開けて、

柱状節理が素晴らしい、

大岩扇が目の当たりに見えます。

あ~この山、何かに似てる・・・

そう、風来のシレン(ファミコン)の

テーブルマウンテンです・・・。

 

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