勝龍寺城(京都府長岡京市)

 

大河ドラマ効果の恩恵

「観光客が来るぞ!」

そんな希望が湧けば、

予算もおりるというもの(笑)

ここ勝龍寺城にある案内板の殆どは、

「令和元年11月」に

建てられた真新しいもので、

しかも、その一つ一つが、

復元イラスト、発掘調査の写真付きの

それは、それは素晴らしいものです。

恐らく、城跡自体の整備も

大河ドラマ、「麒麟がくる」に合わせて、

同じ時期に成されていたのでしょう。

是非、ここ勝龍寺城や、

長岡京市にも麒麟、いや、

「観光客がくる」よう

心から願っています!

勝龍寺城

亀山城と大河ドラマ館を楽しんだ

京都府亀岡市から

高速道路を使い約1時間ほどで、

同じ京都府長岡京市の

勝龍寺城に到着です。

パンフレット掲載の復元想定図。

僕たちが訪問した勝竜寺城は、

この想定図にかなり近いものが残って

(復元して?)いて、

想像していた以上に

見所も多く充実しています。

沼田丸

勝竜寺城公園の駐車場は、

本丸の南西側にある

沼田丸の跡地にあります。

駐車場横に立っている、

沼田丸の井戸跡の案内板。

当時の井戸とは違いますが、

「ここに井戸があったんだよ!」

という存在アピールをしています。

沼田丸跡の案内。

この内容を読み、発掘写真を見て、

こんなにも親切な案内があるとは、

正直ビックリですね。

沼田丸跡。

本丸外郭

僕たちが勝龍寺城に到着した時、

空は暗く、雨が降っていたのですが、

何となく「止むんじゃないかな?」

「青空も見えそうな気がする」

なんて、全く根拠のない

希望を抱いていました。

まずは、本丸の周囲を散策します。

この時、雨は止みました!

案内板。

実は、ここに書いてある事を

勝竜寺のパンフレットでは、

「勝竜寺城のあつみ」として、

年表形式にまとめて、

より分かりやすく、伝えています。

パンフレットの抜粋です。

何気なく眺めていた僕ですが、

ここで、思わぬ大発見!(笑)

それは、

天正6年(1578)8月の

「細川忠興が明智光秀の三女玉

(のちのガラシャ)を迎えて妻となす。」

の次、同じ年の10月

「吉田兼見が訪れ、囲碁や乱舞を楽しむ」

こう書かれているのです。

この4年後、

天正10年(1582)に起きた

本能寺の変の後、数回に渡って明智光秀と

面会している吉田神社の神主である

吉田兼見がここに来ていたとは。

明智光秀とは盟友に近い存在だった、

細川藤孝(忠興の父)と同じく、

光秀が親しくしていた吉田兼見と

ここの城主、細川忠興の関係が、

垣間見られたようで、

ちょっとニンマリです(笑)

お堀を半周ほどしてみます。

このときには、

雨が上がって雲の切れ間から青空が!

細川忠興の妻、

細川ガラシャについての案内。

長岡京市の名所・史跡案内。

この中では、今回行けなかった場所、

山崎の合戦で、

光秀の本陣が置かれたという

恵解山古墳が気になります。

「おさんぽ長岡京」

右側のモデルコースには、

僕たちがこの後巡った場所が

幾つもありましたが、

「勝竜寺」というお寺が、

勝龍寺城の直ぐ傍にあったのは

完璧に見逃していました・・・

やっぱりいつもの如く詰めが甘いな~(笑)

勝龍寺城公園と長岡京市の案内。

平城京と平安京の間、

わずか10年間の都だた長岡京ですが、

その規模はこの二つに匹敵するほどの

規模だったようです。

石落としも付いた北東隅櫓。

本丸入り口方面に戻るころには、

勝龍寺城の上空は、

かなり晴れて来ました。

本丸内郭

お堀を半周して戻り、

ようやく本丸(勝龍寺城公園)内へ。

本物では無く、「お城風建物」ですが、

なかなか見応え充分ですよ。

ここから入城。

本丸跡の案内。

冒頭で書いたように、

勝龍寺城に設置された

最新の案内板は、

発掘写真と説明で、

懇切丁寧なのが、素晴らしく、

いちいち感動していたらキリが無い位です。

南門へ。

細川忠興・玉(ガラシャ)像。

「ガラシャ」という洗礼名は、

本能寺の変の後、

玉がキリシタンとなった後ものもで、

自分の実父が無本人という事に、

身も心も疲れた彼女が

キリシタンになったのも

何となく分かる気がします。

(勝手な推測ですが)

東辺土塁の石垣と井戸。

土塁上にある土塀の狭間(さま)から

鉄砲で敵を狙うポーズの妻(笑)

北東隅櫓の石垣と階段。

何となく雰囲気が感じられます。

本丸の井戸跡。

沼田丸跡のと同じものが

ここにも作られていますね。

勝龍寺城の石造物。

石垣に使われていた、

五輪塔、宝篋印塔、

層塔、板碑、石仏など、

数多く置かれていて、

実に見応えあありますね。

こんな展示方法を考えた人、偉い!

勝龍寺城の石垣。

遺構として残る、細川時代の

石垣が見られる北門付近です。

桝形虎口になっていますね。

西辺土塁。

上ってみます。

まずは、右の

「北門桝形虎口テラス」へ。

北門跡。

先程の石垣が残っている場所を

土塁の上から見る事が出来ます。

「光秀テラス」と名付けられた、

殿主(天守)跡からは、

山崎の合戦場が一望出来ます。

山崎合戦布陣図。

管理棟内見学

本丸を散策した後は、

南門付近にある櫓風というか、

天守風の外観を持つ管理棟へ。

本丸内から撮影した管理棟全景。

中はカフェ風で明るい展望場所があり、

しかもスマホやパソコンの充電も可能という

ファーストフード店真っ青の装備です!

長岡京市周辺マップ。

やはりこんな涙ぐましい、

誘致活動があったのか・・・

長岡京市の皆様、

大河ドラマ誘致決定

本当におめでとうございます!

そして、

そのお陰で、僕たちも充実した

勝龍寺城巡りが出来ております(笑)

2階展示室

展示室は撮影禁止なので、

中の写真はありません。

細川藤孝、その子である忠興、

忠興の妻、ガラシャ、

そして、明智光秀・・・

この四人を中心に展示されています。

明智光秀が山崎の合戦に敗れ、

逃げ込んだのがこの勝龍寺城。

そこ後、滋賀県の坂本城も目指すも、

土民に殺されてしまいます・・・

だから「最期の城」なんですね。

なかなか興味深い展示だったのですが、

写真を撮っていないと

いま一歩記憶が呼び起こせないのは、

年のせいでしょうか(笑)

最期にツーショットで、

勝龍寺城散策は完了です。

城を後にして

ここに着いた時は雨。

そして、だんだんと青空が多くなり、

帰る頃になると、

こんな感じになっていました。

めっちゃ青空(笑)

管理等を真横から撮影。

これも青空~!

この上空付近だけが青空で、

太陽も燦々と照って来たのに

その先はずっと雲が覆っていました。

という事で、到着したときの

「晴れるはず」という

根拠の無い希望は叶ったのでした(笑)

 

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