光善寺(山形市)伽藍編
徳川家の遺産
以前は、
神社ばかり参拝していましたが、
武将たちの「お墓参り」が
多くなった事もあって、
「お寺率」が上がっています(笑)
江戸時代、「お葬式はお寺」と
義務付けられ、神社での葬儀が
実質禁止されていた過去があるから
そうなっている部分もあるでしょう。
ということは、
現代の日本に於いても、
いまだに徳川家の遺産を
引き継いでいるのかも知れません(笑)
伽藍
実は、最上義光公の墓参りの前と後に
伽藍の散策をしたのですが、
便宜上、
一気に巡ったことにします(笑)
お寺の入口。
参道。
少し行くと板碑があります。
扁額の文字は「䗝祖神」(さんそしん)。
䗝の文字をネットで調べると
「䗝」は「蚕」の異字体と
書かれたものがあり、
それならば「お蚕(かいこ)様」を
祀っていると推定できます。
刻印された文字は、
「三国一䗝祖神」
「馬鳴(めみょう)菩薩」。
太鼓橋(石橋)。
横から撮影。
「山形百八地蔵尊第二十三番霊場」。
地蔵菩薩に参拝。
陽刻と陰刻のミックスされ、
なかなかお洒落な板碑です。
ここは、
よく分からないまま参拝(汗)
手水鉢。
本堂に参拝。
「天龍山」の扁額。
本堂裏側の光善寺庭園入口。
正直、庭園にはあまり興味はなく
しかも
最上義光公のお墓参りをした後で、
気が抜けたのもあり(笑)
ちょっと見ただけですが、
案内によれば、
江戸初期を降らないものと
推定されるそうです。
鐘楼。
亀甲積みの玉石垣とでもいうのか、
ちょっと珍しい石垣ですね。
案内には、
「梵鐘は元禄十年(1697)、
京都洛陽三条の釜座、藤原国次の作である」
このように書かれていて、
また、Wikipediaには
明治期にあった大火災で本堂などの
多くの伽藍が焼けてしまった中、
この鐘楼は残ったと書かれていますので、
相当に強運な鐘楼と言えそうです。
鐘楼の手前のお堂。
正面に回り、鳥居をくぐりお堂へ。
正面。
「鎮守愛宕大善神」の扁額。
愛宕ですから火伏の神ですね。
鐘楼の強運と関係あるのか、
ないのかは、わかりません・・。
最後に本堂前にてツーショット。
この後は、
最上義光の愛娘、
駒姫のお墓がある専称寺へと向かいます。