2020/05/17
熊野速玉大社(2019年夏旅)
古神宝
熊野速玉大社を意識し始めたのは、
6年ほど前、東京の上野で行われた
「大神社展」でした。
各地の神社から取り寄せられた
多くの国宝、重文などの歴史的文化財が
一同に会した、素晴らしい展覧会で、
その、文化財の中でもかなりの数に
「熊野速玉大社所蔵」の文字があったのを
今でも鮮明に覚えています。
Wikipediaによると
実際に神社所蔵の古神宝類は
1000点を超え、
一括して「国宝」に指定されています。
今回は、途中寄り道ばかりしてしまい(汗)
時間がなくなり、その古神宝との
再会はお預けとなりましたが、
神社に参拝したことで、
大神社展を思い出すことも出来たし
まずは、めでたし(笑)です。
熊野速玉大社へ
山中にある熊野本宮大社から
海辺の町、新宮市に鎮座する
熊野速玉大社までは車で40分。
予定よりも1時間半遅れの
午後3時半ごろ到着。
駐車場にあった「新宮市絵図」。
阿須賀神社や
丹鶴公園と記された新宮城跡、
そして、熊野速玉大社の元宮である
岩神倉神社など、この後に行く予定の
場所がわかりやすく描かれていて、
ここで改めて位置関係を
頭にインプット・・・
いえ、多分、暑さのあまり
見ていただけです(笑)
境内入口。
地元出身の詩人であり作家の
佐藤春夫の石碑。
熊野速玉大社境内には、
佐藤春夫記念館もあるそうですが、
参拝時には全く知りませんでした。
両部鳥居。
参道途中に鎮座する
八咫烏神社と手力男神社に参拝。
本社参拝の後に境内社を
参拝するという順序はあるようですが、
状況次第では
神様も許してくれるはず(笑)
参拝。
熊野速玉大社参詣曼荼羅。
これは世界遺産登録を記念して
描かれたものですが、
中世に描かれた曼荼羅は、
今で言う旅行ポスターや
パンフレットみたいなもので、
これを地方の人達へPRする
「熊野御師」(くまのおし)という
今で言えば
旅行代理店の宣伝部員のような人が、
この曼荼羅を持ち回って頑張った結果、
熊野三山は、天皇、上皇などに
支持され、大繁栄したようです。
国指定天然記念物の御神木「梛」(なぎ)。
これは、大きい!
これほど幹の太さがある梛は、
初めて見ました。
平重盛が植えたと伝えられ、
樹齢は千年とも言われています。
櫓台のような巨大な台座に乗って
睨みを効かせる狛犬。
吽形。
楼門が見えてきました。
手水舎。
龍?象?
いえ、ミックスでしょうか、
社殿にある木鼻のような形をした
ユニークなデザインです。
楼門へ。
楼門にも立派な注連縄が張られ、
拝殿かと間違うくらいです。
楼門右側の彫刻。
左側。
楼門は新しく見えますが、
左右の彫刻は昔のもののようです。
御社殿周辺
楼門をくぐり
御社殿前に到着。
多くの神様が横並びに鎮座。
御由緒。
このあと行く予定の
神倉山にあるゴトビキ岩(天の岩楯)を
御神体とする自然崇拝が源で、
その後、景行天皇の御代に御社殿が
作っれたと書かれています。
熊野御行の石碑。
熊野に参詣した歴代の天皇、上皇、
皇后などの名前と
その参詣回数が書かれています。
後白河上皇33度、
後鳥羽上皇29度、
鳥羽上皇23度・・・・
車など交通機関もなかったころ
京都から熊野までを
これだけの回数行き来したとは、
神仏への崇敬の念、驚きですね。
お供の人もさぞかし
大変だった事でしょう(汗)
御朱印。
この後行く神倉神社の御朱印も
併せてここで授与していただきました。
拝殿へ。
拝殿前、
寶曆二年(1752年)寄進の石灯籠。
左側の灯籠。
熊野速玉大社社殿は、
明治時代に火事で全焼したそうですが、
石灯籠は残っていたのですね。
黒いすすのようなものは、
その火事の名残でしょうか・・・
参拝。
小さな鈴が沢山付いたタイプの音色は、
僕のお気に入り。
単音でなく和音で聞こえるのは
神が降臨する気分で格別です。
上三殿、八社殿。
記念写真撮影も完了。
オガタマノキ。
熊野恵比寿神社。
新宮神社。
熊野稲荷神社。
これにて、熊野速玉神社の
参拝は完了です。
今日の発見
妻が教えてくれた鬼瓦。
「平面になっているの珍しいね!」
確かにこの鬼瓦、
プレスしたかのように
ぺったんこな感じです(笑)