黒田神社(福岡県みやこ町)

 

神社名の由来

江戸時代の豊前国は、、

細川氏、小笠原氏が藩主だった場所。

そこに、何故筑前国を治めていた

黒田氏の「黒田」と

名の付く神社があるのか?

ちょっと気になっていましたが、

それは神社の案内を読んで、

納得できました。

黒田という名前は

黒田官兵衛でもなく、

黒田長政でもなく、

この付近の黒田村にあった

三つの神社を合祀したから

黒田神社となったと書かれています。

何事も、

先走ってはいけませんね(笑)

参道

黒田神社の参道は石段も含め、

かなりの長さがあります。

社頭。

竹に彫られた

「密 飲酒運転駄目」の文字が

いきなり僕の目に入ってきたのは、

既にこれが絶大な効果を

発揮している証拠でしょう。

一の鳥居。

御由緒。

冒頭に書いたように、

「この神社は、

かつて黒田村の別々の場所にあった

八幡宮・天疫神・天神社の三社を、

村人一同が評議のうえで

今の社地に合祀したものといいます。」

また、

「慶長五年(1600)に

黒田の家臣・

宗我部五右衛門尉重勝が

社殿を造営しましたが、

文化十四年(1817)

拝殿が焼失しました。」

このように書かれています。

黒田氏も全く無関係では、

なかったようですね。

境内入るとすぐ右側に池があり、

その中には厳島神社(多分)が

鎮座しています。

二の鳥居へ。

さらに石段を上ります。

文久三年(1863年)寄進の狛犬。

吽形。

この地方には、

これと似たタイプの狛犬が

多い気がしますが、

同じ石工さんの作品かも知れません。

二の鳥居は、

安永三年(1774年)の寄進。

最後の石段。

神牛。

拝殿。

屋根の神紋は梅。

そして、この左右には、三階菱。

小笠原氏の崇敬も

篤かったということですね。

さらに拝殿には、

三階菱の彫刻までが

あしらわれています。

天井絵。

拝殿右側から本殿へ。

本殿。

境内社

本殿の左右には、

境内社が鎮座しています。

本殿右側の恵美須社。

本殿左側の大清水社。

御祭神不明の境内社。

妻は三階菱のポーズ(笑)

今日の何だろな?

拝殿左側の石柱。

過去にも神社で見かけた事はありますが、

顔出しパネルでもないし、

これは何なのでしょう?

なかなか解明できていません・・・。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください