救世神社(佐賀県鹿島市)
肥前狛犬という文化財
佐賀県とその周辺の神社には、
肥前狛犬と呼ばれる
小さくて独創的なデザインの狛犬を
多く見ることが出来ます。
石製ながらもその小ささから
持ち運びが容易なこともあり
特に重要と思われるものは、
その所在を明らかにしないのが
防犯には良いとする
考え方もあるようです。
もちろん、「完全秘匿」されているものは、
僕も秘匿しますが、
ウェブサイトやブログで
既にいくつもの発信があるものは、
その範疇では無いと考えています。
ここ救世神社の肥前狛犬は、
神社さん自体も
しっかりと案内をされていますし、
いくつもの既存サイトでも
紹介があっていますので、
所在の案内は問題は無いでしょう。
文化財を多くの方に知ってもらい、
豊かな心を育む事と、防犯との狭間で、
肥前狛犬という存在は、
やはりまだまだ、
発展途上なのでしょう。
逆に言えば、まだまだ
伸びしろが沢山ある
ということかもですね!
救世(くせ)神社へ
鹿島市の少しはずれに、
救世神社は鎮座しています。
到着するとすぐに目にはいるのが、
こちらの案内板です。
お〜!
紹介されていますね、肥前狛犬が。
元和二年(1616年)の製作ですから
大坂夏の陣の翌年、
徳川家康が亡くなった年ですよ!
このデフォルメの文化、
唯一無二の素晴らしいもので、
佐賀藩(肥前)の幕末の活躍は、
こんな独創的な発想から
生まれたのかも知れないと
考えが飛躍してしまいます(笑)
一の鳥居は、学校の校庭に
向かって建っています。
鳥居をくぐると校庭(笑)
今は廃校のようですね。
「能古見小学校 浅浦分校」
かつての面影を忍ばせてくれます・・・
校庭から社殿へ上ります。
狛犬、阿形。
吽形。
狛犬の奥には
古そうな燈籠があります。
右側の灯籠は文政五年、
西暦1822年の寄進。
左側の燈籠は嘉永元年、
西暦1848年の寄進。
拝殿へ。
中に入って、幣殿の手前で、
お目当ての肥前狛犬とご対面。
ご祈願もしないのに幣殿に入るのは
ちょっと気が引けるので、
拝殿からズームで撮影。
阿形かどうか分からない口です。
ボケていますが、
大体の形はわかりますね。
吽形?。
う~んやっぱり素晴らしい!
やっぱり肥前狛犬を生み出した
佐賀県は凄いな~!
右から拝殿、幣殿、本殿。
本殿は覆屋タイプ。
境内社
校庭の端っこには公民館があり、
その横から境内社である「天満宮」の
参道が延びています。
明神鳥居の神額の一部は崩れ、
貫の部分も折れていますが、
大切に残されているのが、
有り難い限りですね。
古いものは完全でなくても
「残して伝える」のが、
やはり大切な文化の継承ですから。
一番右が天満宮。
そして、最後に・・・
ツーショットで〆。
冒頭に書いたように
徳川家康が亡くなった同じ年、
元和二年生まれの
400歳にもなる肥前狛犬を見て、
何だか、家康の魂を受け継いで
長生きしている気がしました。
これからもさらに400年、
いや地球滅亡の日まで(笑)
ここで元気に神様と参拝者を
見守って欲しいものですね。