天麟院・定照殿(宮城県松島町)

 

駆け上がって参拝

この日は早朝から松島海岸、

午後からは仙台市内、

16時前には仙台から新幹線で東京へ、

そして羽田から福岡帰着という

相変わらずの欲張りモード(笑)

伊達政宗と正室愛姫めごひめとの長女、

五郎八姫いろはひめの御霊屋、

天麟院・定照殿へ参拝は、

列車の発車時刻が迫る中、

参拝を半分あきらめたものの

妻の「行きたいんやろ?」の一言で、

思い返し石段を駆け上がって参拝し

めでたく、

松島海岸最後の訪問地となっています。

必死な形相で(笑)

駆け上がってくる僕たちを見て、

五郎八姫さんはびっくりされたかも?

それでも、

お喜びくださったはず・・デス(笑)

「ごろはち」

本当か否かは分かりませんが、

伊達政宗は嫡男誕生を願い、

五郎八(ごろはち)という名前を

考えていた所、

女の子だったので五郎八(いろは)と

名付けたというお話があります。

霊廟の案内。

ここには、ちゃんと「いろは」と

振り仮名がうってあります。

間違ってごろはちと読むと、

「ごろはちひめ」に

なってしまいますからね(笑)

案内には

「五郎八姫とは、母正室愛姫が

生まれた女の子に男名をつけると

次は男子が生まれるという

いわれから五郎八姫と

名づけたと言う。」

このように書かれていますので、

父母ともに、

思いは同じだったのでしょう。

御霊屋

五郎八姫の菩提寺である

天麟院の本堂へは行かず、

御霊屋のみの参拝です。

御霊屋参道入口。

ここから駆け足スタート(笑)

一気に御霊屋へ。

近年改築されたのか、

真新しい外観です。

徳川家康の六男、

松平忠輝に嫁いだ五郎八姫ですが、

夫の忠輝は大阪夏の陣の後、

兄の秀忠から改易され

五郎八姫とは離別・・・

姫は仙台に戻って暮らしています。

父の政宗からしても、

心の痛む思いだったでしょう・・・

そんなことを思い浮かべながら参拝完了。

洞窟群

御霊屋の背後には、

伊達家の供養塔が建った洞窟があります。

雄島瑞巌寺円通院などで見られる

洞窟の光景と同じですね。

御霊屋から振り返ると、

松島の海が見えています。

五郎八姫目線でもありますので、

故郷の海に癒されながら、

静かにお過ごしなのでしょう・・・

 

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