余呉湖ビジターセンター(長浜市)

猿軍団
賤ヶ岳の戦いにおいて、
豊臣秀吉配下の武将、中川清秀は、
自身のいる大岩山砦を
柴田勝家軍の猛将、
佐久間盛政に奇襲され討死しています。
その大岩山には、
江戸時代の天和二年(1682)
清秀の100回忌に、
豊後国(現・大分県)岡藩第四代藩主で、
清秀の玄孫である中川久恒が
建立したお墓がある事を、
以前訪問した賤ヶ岳で、
ボランティアガイドさんから聞いており、
いつかはお参りしようと考えていました。
というわけで、
今回は大岩山登山を敢行し、
そのお墓参りをする予定にしていました。
しかし・・
車で登山口付近に到着した時、
10匹以上の親子で構成された
「猿軍団」が、僕たちを睨みながら
悠然と目の前を通ったのです・・・
以前、福岡県糸島市の宮地嶽神社で、
猿に襲われた経験のある僕たちは、
猿軍団の視線に、
大岩山に登る気持ちは完全に失せてしまい
中川清秀さんには申し訳ないけど
お墓参りは断念したのです・・・
きっと大岩山の神様が、
「今日は登らない方が良いよ!」
と僕たちに告げる
「神使」としての役目をお猿さん達に
託したのでしょう(笑)
余呉湖の昔と今
天正十一年(1583)賤ヶ岳合戦の時、
余呉湖周辺には、
秀吉方の陣が配置されていました。
こちらは玄蕃尾城で貰ったパンフです。
前述の佐久間盛政は、
左上の行市山砦から南下し、
余呉湖の西岸を密かに迂回し、
余呉湖東の大岩山砦急襲に
成功していますので、
途中、猿軍団とは
遭遇しなかったようですね(笑)
余呉湖観光館に設置された
今現在の余呉湖周辺。
大岩山登山が無くなったので、
空いた時間を利用して、
妻がとても気にしていた
「槍洗いの池」を訪問することに。
この地図で言えば、
左下の「あじさい園」付近です。
余呉湖観光館を出発。
天女の羽衣伝説
余呉湖にも羽衣伝説があります。
余呉湖のほとりで、
天女が羽衣を木に掛けて
裸になって水浴びしていたら、
それを見ていた男が羽衣を盗み、
天女を困らせた挙句結婚して、
その子孫がこの地域を支配したとか、
天女が産んだのは後の菅原道真だとか、
そんな伝説です。
この田んぼの先、余呉湖畔の柳の木が、
その「現場」だそうですが、
僕たちはあまり興味がなく行っていません。
ところがこの直後、
天女に出会う事になったのです(笑)
余呉湖ビジターセンター
柳の木から少し行った余呉湖の北岸に、
食事&休息できる
余呉湖ビジターセンターがあり、
「槍洗いの池」に行く前、
ちょっと寄ってみました。
真っ赤な車の前には
巨大案内板があります。
賤ヶ岳ハイキングマップ。
そしてこの裏側が・・
賤ヶ岳合戦図です。
実に分かりやすい俯瞰図ですね!
行市山から佐久間盛政の進軍ルートが、
これによって一目瞭然だし、
槍洗の池も案内されていますし!
ここで天女に遭遇(笑)
天女像、正面。
天女像と余呉湖、大岩山を一緒に撮影。
羽衣伝説の石碑。
句碑と案内。
「鳥雲に水の近江を故郷とし」
(大橋桜坡子)
「わかさぎの湖あかときの茜差す」
(大橋敦子)
この先の釣り場では、
冬のわかさぎ釣りが有名だとか・・
それと俳句は無関係でしょうが(汗)
釣り場と余呉湖、
その先が賤ヶ岳で、
素晴らしい景色です。
ズームして賤ヶ岳山頂を撮影。
動画でも撮影。
そして、
2年半ほど前に行った
賤ヶ岳山頂から見た余呉湖がこちらです。
この日、
佐和山城から賤ヶ岳に行く寸前まで
雨だったのが、急に青空となり、
素晴らしい眺めを楽しむ事ができた事は、
僕たちの旅史上でもトップクラスの
思い出になっています。
伝説とは無関係な柳もありますね(笑)
天女様をバックにツーショット完了し、
「槍洗いの池」へと向かいます。