2018/12/22

岡城(大分県竹田市)前編

 

東京ドーム20個分の城

岡城という名前を知ったのは、

僕が小学生のころ習った

瀧廉太郎の「荒城の月」が

岡城を見て作曲されたという

逸話を聞いた時でした。

しかし岡城のことなどは、全く興味もなく

その後50年間ほど忘れていました・・・

それが2年前、姫路城に行ったころから

僕はお城好きになってしまい(笑)

色々と日本のお城を調べているうちに

小学生の頃知った岡城が、

現在、素晴らしい史跡として

残っている事を知り、

隣県でもあり行きやすい場所なので、

訪問の機会を伺っていました。

それが実現したのが去年の12月です。

山奥の町のそのまた山の上に

東京ドーム20個分の敷地を持つ

広大なお城が築かれた事自体も凄いし、

建物は無いものの石垣などの遺構が、

当時のままに残っているのも

岡城の大きな魅力です。

大手門へ

竹田市に入る手前から

いくつも竹田城址の案内板があり

車で行くのに迷うことはないであろう岡城、

その駐車場に到着すると

いきなり素晴らしい石垣が

目に飛び込んできます。

これを見た瞬間から

テンションは上がりまくります(笑)

お城の案内図も完璧。

お城を含む広域図も素晴らしい作品です。

入場券が何と巻物になっています。

裏面は掛け軸!!

300円の入場料が、

これをいただいた時点で

入場料は無料になった感覚で、

こんな素晴らしいおもてなしを受けて

すでに岡城にメロメロな僕でした(笑)

ここにも案内があります。

昭和11年に建てられた

岡城址の石碑を横目に

大手道に向かいます。

このあたりでは、

「荒城の月」がヘビロテで流されていて

訪問者の気分を高揚させてくれます。

素晴らしい石垣!

もうすぐ大手門。

大手門が追手門と言われる

意味が書かれています。

敵を追い詰める方向にある門なので、

大手門は追手門とも呼ばれるそうです。

想像図まで描かれていて親切ですね。

城内から撮影した大手門。

その先には西の丸御殿の石垣も

完璧な姿で見えています。

こちらは、大手門から西側に残る、

古大手門跡。

古大手門跡を場外から撮影。

石垣の積み方で、時代を感じられて

こちらも素晴らしい遺構です。

西の丸

広大な竹田城を

どこから攻略しようかと少し考えて、

まずは左回りで(笑)と考えた僕は、

大手門からすぐそばの西の丸に向かいました。

元々は殿様が隠居後に住もうと

江戸時代初期に作った御殿が、

江戸時代末期まで、

政務の中心として使用されていたそうで、

殿様の隠居先が気になる御殿です(笑)

エントランス。

ここにも素晴らしすぎる石垣たちが

僕を待っていました(笑)

途中で石垣により

「行き止まり」になった石段。

石段の利用目的が、

いつからか変わったからでしょうか?

新屋敷門跡。

西の丸御殿跡。

逆くの字になった木を発見。

東門から御殿への石段。

御殿敷地の端にある稲荷社跡。

西の丸御殿から家老屋敷方面を臨む。

石垣、石垣、いしがき~!

これだけ崩壊もせずに

数百年も維持されていて、

それを思うだけでも感動します。

水門もありますね。

家老屋敷から見た西の丸の石垣。

角を作らずに丸くデザインされた

ところもあります。

近戸門方面。

近戸門近くからの展望。

案内板に描いてあるように

阿蘇山も見えます。

秋めいた石垣と石段。

イチョウの葉の絨毯。

紅葉の絨毯。

岡城は、石垣と紅葉のコントラストも

素晴らしい光景を見せてくれます。

あまりにも見どころが多すぎて、

岡城の散策には4時間以上も

費やしてしまい、

僕は大いに喜びあちこち駆け回り、

妻は疲れてヘトヘトになってしまいました(汗)

後編につづく。

 

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