斗南藩士上陸の地(むつ市)

 

明治維新の人柱

会津藩は、

徳川幕府に殉じた藩と言えるでしょう。

幕末、

徳川幕府からの要請という名の命令により

京都守護職として、

京都の治安維持に努め、

実直に任務を遂行した結果、

孝明天皇からの信任を得たものの

敵対勢力(明治新政府側)からの

憎悪の的となった会津藩主の松平容保まつだいらかたもり

その後の戊辰戦争においては、

天皇に逆らう「朝敵」の汚名を着せられ、

敗戦した会津藩は取り潰されています。

その後、

「斗南藩」としての復活を許されるも、

北境の地へ追いやられ、

会津藩士達の苦難の道は続くのです・・

明治維新により

数えきれない悲劇が生まれ、

多くの血が流されていますが、

中でも会津藩は、

江戸幕府にトドメを刺し、

新たな国を形作る為の生贄というか、

「明治維新の人柱」としての役割を、

担わされたのかも知れません・・

悲しいほどお天気

斗南藩藩士上陸の地に来てみると

そこには、

苦難の跡とは別世界の

のどかな海辺の光景が広がっています。

埠頭の駐車場。

釜臥山かまふせやまもくっきり見え、

清々しさ全開です。

陸奥湾は美しく透明度も抜群。

暑くもなく寒くもない青空の下、

幸せな気持ちにしかなれない僕たち・・

でもここは、

斗南藩(会津藩)苦難の始まりの地・・

素晴らしいお天気なのに、

何故か悲しい気持ちがしてきます・・

ユーミンの曲にもありましたね、

「悲しいほどお天気」って曲。

どんな歌詞だったか忘れたけど(笑)

斗南藩士上陸の地

いよいよ上陸の地へ。

この先が史跡です。

この文字、

心がこもっていますね・・・

そして、ここを少し行くと

詳しい案内板があります。

「斗南藩士 上陸の地」

以下、案内です。

「明治二年斗南藩として再興を許された

旧会津藩士の一団が、

新潟から海路をたどり

見も知らぬ新天地の

未来の生活に夢を抱き

ここに第一歩をしるしました。

この史跡は

むつ市市制施工三十周年記念事業として

会津人の心を偲んで

設置されたものであります。」

会津人の心を偲んで・・・

これにはグッときますね・・・

この後、

会津藩士の気持ちを辿ろうと、

一旦海側まで行き、

上陸地点へ向かう事に。

ちょうど会津若松市に背を向け、

上陸地点へ向かってスタート。

カモメさん・・

もしかして、

松平容保公が来て下さったか?

陸奥湾の美しさ、

何度見てもたまらんな〜!

名物ホタテも成長するはずだ〜

なんて思いつつ、

ますます悲しくなりそう・・

ちゃんとこんな立派な石段が

設られているんですよ・・

今まさに上陸します・・・

記念碑や東屋が見えてきました。

先ほどの案内の

続きをここで書き出してみます。

「記念碑」

「鶴ヶ城の石垣にも使用されている

慶山石を会津若松布よりご寄贈いただき、

飯盛山に思いをはせて

組み立てられております、

また記念碑正面からは

会津若松市を望む方角に

設置されております。」

「台座」

「明治二十五年に田名部尋常高等小学校

(現代官山公園)建設の際使用した

基礎石を利用して組み立てております。」

「植栽」

「記念碑をとりまく花木は、

むつ市の花である「はまなす」と

会津若松市の木である

「アカマツ」を組み合わせ

植栽しております。」

使われている石材、

植栽された花木、

全てが、「意味ある」ものばかり・・・

心に響きます・・・

たまたまですが、

はまなすの花も咲いていますね!

「知床の岬に〜♪

はまなす〜の咲くころ〜♪」

ここで二人して、

「知床旅情」のワンフレーズを

思わず合唱(笑)

はまなすアップ。

こんな実をつけるようです。

台座は会津松平家十三代、

(容保から三代後)の松平保定の書です。

会津産の石碑。

両側には会津若松市と

むつ市の市章があしらわれています。

会津若松市の市章。

むつ市の市章。

石碑裏側には、碑文を

ゆっくり読めるように

ベンチまで設置されています。

碑文の一部を要約抜粋すると

以下になります。

「新潟港から現在のむつ市を目指して、

アメリカの蒸気船ヤンシー号に乗ってきた

一団1,800名がこの浜に到着したのが、

明治3年6月10日であります。」

思った以上に大人数ですね!

先ほどの石段からして

数十名かと思っていましたので、

案内があって良かった。

そして、

6月10日は、

僕たち夫婦の結婚記念日(笑)

ご縁というのでしょうか、

何か見えない力で斗南藩(会津藩)士の

方々と繋がっているみたいで、

ちょっと嬉しいかも・・・です。

そして、改めて釜臥山を見ると・・

お〜これは会津の磐梯山に

よく似ている気がします!

こちらが「磐梯山」です。

やっぱり似てますね・・・

斗南藩士の人々も

ここで釜臥山を見て、

懐かしい故郷の磐梯山を思い出し、

涙したかも知れません・・・

最後に、石碑を背にして、

アカマツとはまなすの花の先に

会津若松方面を遠望・・

心の中には、

鶴ヶ城(会津若松城)の勇姿が

見えているような・・・

あ〜またもや涙が出そう・・・

 

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