信玄ミュージアム(山梨県甲府市)

 

ガイダンス施設としても秀逸

信玄ミュージアムには、

無料の常設展示室と

有料の特別展示室の二つがあります。

僕たちは、いつものように

時間に追われる旅(笑)

なので、常設展示室のみを見学。

無料とはいえ、

本当に行って良かったと思います。

何故なら、ここに行かなければ、

武田氏館(躑躅ヶ崎館)の遺構の

かなりの部分を見逃していたからです。

いつも事前準備が適当なので、

信玄ミュージアムの

ガイダンス施設的な展示には

大いに助けられました。

穴山信君屋敷跡

信玄ミュージアムの位置するのは、

武田信玄・勝頼の重臣、

穴山信君(のぶただ)の

屋敷跡の一角です。

武田氏の終焉が見えて来た頃、

武田勝頼を見限り、

織田信長に臣従した人というのが、

何とも言えませんが、

これもご縁というものでしょうか・・・。

案内には、

「穴山玄蕃頭(げんばのかみ)信君屋敷跡」

と記されています。

ちなみに穴山さん、武田氏滅亡後、

安土城に行き信長に謁見したあと

堺見物していたら本能寺の変が起き、

堺から徳川家康とともに

明智勢などから逃げる途中、

何者かに殺されています。

(家康は無事、岡崎城に帰着)

運が悪いとか良いとかではなく、

「天の配剤」というものは、

間違いなくあるでしょう・・・。

信玄ミュージアム全景。

エントランス。

入口。

常設展示室。

武田信玄のパネルを除き、

写真撮影OKなのが嬉しいですね!

甲州の歴史

展示は二部構成となっていて、

(勝手にそう思っただけですが)

一部は、武田信玄の功績と

武田信玄から勝頼、そして、

関ヶ原の戦い前まであたりの、

甲府の歴史案内となっています。

これは違うコーナーのパネルですが、

これを最初に見ると、

武田信玄自体の歴史が

わかり易いと思います。

やはりハイライトは、信玄最大の危機、

第四次川中島合戦でしょう。

信玄の国造りの要「治水」。

行きたかったけど

行けなかった「信玄堤」は、

今も現役というのが、凄い!

信玄はホントに偉かったけど、

後継者育成が出来なかった・・・

長く続く家柄や企業は、

優秀な後継者を育むか、

または、

有能でない、

もっと言えば幼児が後継者でも

家や会社が成り立つ

周辺環境作りが際立っていますから。

(江戸幕府が最たるものかな?)

勝頼さんも最後まで頑張ったが、

なんせ周囲が強すぎた・・・。

信長、家康・・・

これも運命というものか・・・。

武田氏滅亡後は、

家康の配下、平岩親吉、

そして、小田原征伐後は、

秀吉の配下、加藤光泰が

館の大改修を行ない、

今に残る遺構を作っています。

甲府城の建設。

武田氏の躑躅ヶ崎館に変わり

政治の中心となった甲府城は、

その建立時期に

いくつかの説があるようですが、

金箔や豊臣家の家紋、

五三の桐をあしらった瓦の出土で、

浅野長政・幸長父子が本格的に

築城工事を始めたというのが、

有力となっています。

武田氏から関ヶ原の戦いまでの領主たち。

武田氏館について

二部は、武田氏館(躑躅ヶ崎館)の

遺構などを中心に紹介されています。

武田氏館全景と各所の案内。

このコーナーのパネルで感心したのが、

一般向けの案内とともに

「こどもかいせつ」と題された、

子供向けの解説があることです。

しかも内容はかなり踏み込んだもので、

子供扱いしていない(笑)のが、

素晴らしいと思います。

「館跡の堀と土塁」。

「大手虎口と大手馬出」。

丸馬出と角馬出の比較までが

紹介されているのは驚きですね!

武田流は新府城でも見た

三日月堀+「丸馬出」ですが、

加藤光泰時代の

改築後の姿でしょうか、

今は石塁が整備されています。

「西曲輪北桝形虎口」。

ここでこの案内を見なければ、

見逃すところでした(汗)

「西曲輪南桝形虎口」。

こちらも北虎口同様、

僕の認識に無かった場所・・・。

こんなに重要な遺構を

見逃しそうになるなんて、

本当にお城が好きなのでしょうか(笑)

「甲府の屋敷構造」。

ミュージアムの下は、

戦国時代の遺構が埋まっています。

「躑躅ヶ崎館と城下町」。

典型的な中世の館と詰城の雰囲気は、

なんとなく、福井県の

一乗谷城を思い起こさせてくれます。

「甲府への寺社創建と移転」。

寺社の場所など

詳細に明記されていて、

ここでは寺社マニアを

喜ばせてくれます(笑)

「甲斐善光寺と門前町」。

「こどもかいせつ」によると

「信濃国(長野県)から

善光寺が移されたの?」

という質問に

「信濃善光寺の周辺が

武田家と上杉家が争う戦場となったため、

武田信玄は本尊の阿弥陀如来を

甲府へ移しました。

そのとき山門の前に住んでいた

町の人たちもいっしょに甲府に移住して

新しい町が作られました。」

こんな答えが書かれています。

いや~凄いことですね!

町ごと移転とは・・・

本尊を移転された長野の人、

怒らなかったのかな?

最後に見たのが、

戦国時代の集石遺構。

ここまでで、

信玄ミュージアムの散策は完了です。

今日のトイレ

ここのトイレは超清潔。

姫と殿の暖簾がまた風流だ~!

 

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